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TOP > バウの道中記 > 2008/10/5
 

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 point 【rain-bow】
 point 【714Xと6人の医師】
 point 【古代への旅】
 point 【Pastime】
 point 【18のバス停】
 point 【I Thought About You】
 point 【HOMEに帰ろうぜ】
 point 【山月記に学ぶ】
 point 【風 散々と】
 point 【これで、いいのだ!】
 point 『注文の多い料理店』
 point 【曼珠沙華】
 point 【きつねの夕食会】
 point 【キラリ 札幌地下鉄】
 point 【ゴキブる】
 point 【水道水を飲む】
 point 【夏休み】
 point 【ガイア セブン】
 point 【田んぼの中の露天風呂】
 point 【父は空 母は大地】
 point 【ラジオの話し】
 point 【よければ一緒に】
 point 【シベリア鉄道】
 point 【1分で充分だった】
 point 【病みながらも生きて行く】
 point 【がんの催眠療法】
 point 【テニアン島の怪】
 point 【東京銭湯】
 point 【12月の雨の日】
 point 【しあわせって・・・】
 point 【ダダ・チャイルドの明輝人くんへ】
 point 【犬のようちえん】
 point 【東京タワー】
 point 【希望は踊っている】
 point 【Slow Dance】
 point 【道頓堀でカヌー】
 point 【野の花診療所】
 point 【バウ塾】
 point 【ジョン・レノンな私】
 point 【もっとCM見ようね】
 point 【朗報・みっつ】
 point 【あやまりの旅】
 point 【地球をいやそう】
 point 【言葉が消えた・・・】
 point 【四国から・・・】
 point 【3つのビルの謎】
 point 【聖地・チベット】
 point 【事業仕分け】
 point 【途中退席賞】
 point 【ノーナプキン】
 point 【船首漂着】
 point 【大ボラを吹く人たち】
 point 【きづきの瞬間】
 point 【LOVE ME TENDER】
 point 【親子3代つながった】
 point 【水虫の唄】
 point 【自分の足で】
 point 【あの純真さに学ぶ】
 point 【おいしいコーヒー】
 point 【何を目指したか】
 point 【ダムのない川】
 point 【愛おしくて】
 point 【タタの面白さ】
 point 【15秒のCM】
 point 【REGEND 重い扉】
 point 【起業課を新設】
 point 【開け!にっぽん】
 point 【ピンポン!】
 point 【夢から一歩】
 point 【名人戦】
 point 【セバスチャン氏との出会い】
 point 【やっぱカヌーだよ!】
 point 【カナダセミナー報告】
 point 【希望への讃歌】
 point 【アンソニー・フィリップス】
 point 【ウイルスの政局話し】
 point 【Muzinzo vol.1】
 point 【MOXとCANOE】
 point 【地球マンの声】
 point 【人間家族】
 point 【無為自然】
 point 【おくっとこ】
 point 【ベーシックインカム】
 point 【ロビー活動】
 point 【ハワイな予感】
 point 【フードバンク】
 point 【勇気ある卵】
 point 【類は友を呼ぶ】
 point 【内を向いて歩こう】
 point 【ウォーリーの家】
 point 【お弁当の話し】
 point 【素朴な里と人】
 point 【714X 未知の道】
 point 【似顔絵の作り方】
 point 【大好きだよ!】
 point 【ハプチョンに行くぞ】
 point 【予約販売 GOGO!】
 point 【最後のニュース】
 point 【足るを知る】
 point 【骨董通り散歩】
 point 【薪割りの季節】
 point 【Hymn To Hope 】
 point 【こころの意味】
 point 【行きと帰り】
 point 【お誕生日】
 point 【108の祈り・後】
 point 【108の祈り・前】
 point 【てるりん慕情】
 point 【オフコース】
 point 【読書三昧】
 point 【カナダ報告2】
 point 【どんでん返し】
 point 【ストリートビュー】
 point 【帰りたい】
 point 【カジカ鳴く夕暮れ】
 point 【日の目を見る】
 point 【うぶに還る】
 point 【純真な動き】
 point 【ぼ〜っとする】
 point 【常温核融合】
 point 【ナンバー117】
 point 【夢のひとつ】
 point 【カナダ報告】
 point 【タオと生きる】
 point 【ラップ療法】
 point 【Tibet Tibet】
 point 【千島学説セミナー】
 point 【ガストン・ネサーン】
 point 【BOOMERANG】
 point 【Yes,We Can】
 point 【宇宙を越えて】
 point 【マンハッタンのマグロの叫び】
 point 【食の研究所】
 point 【いのちの食べ方】
 point 【医学の進化】
 point 【育ち・なおし】
 point 【半農半X】
 point 【月に笑う夜】
 point 【911から見る未来】
 point 【中越沖地震】
 point 【慈しむ】
 point 【ひとり旅の冒険旅行】
 point 【HOME SWEET HOME】
 point 【動けば変わる】
 point 【豪快な号外】
 point 【今までのような暮らし】
 point 【森の魂 風の塔】
 point 【スローダンス】
 point 【白い森】
 point 【悲しい知らせ】
 point 【千島学説に学ぶ】
 point 【Beyond】
 point 【広島灯籠流し】
 point 【生徒諸君に寄せる】
  【サイコロの未来】
  【絶望に効くクスリ】
   【風になる】
  【まぁだだよ】
  【ほたるのものすごさ】
  【いいモノみっけ】
  【猫語の教科書】
  【廊下で立ってなさい】
  【21世紀第64回目 月の祭り】
  【アーティストが世界を変える】
  【天声人語】
  【自衛隊に入ろう?】
  【とある社内報2】
  【とある社内報1】
  【四方山ばなし】
  【歌舞伎町三者会談】
  【超秘密会議の打ち明け話し】
  【吹雪の中の水虫のうた】
  【イカ焼きとミックスジュース】
  【豊島問題改ざんサイト】
  【chanとまこっちゃんやど〜】
  【古武道とはなんぞや】
  【道後準備会】
  【竹炭名人芸】
※矢印をクリックするとメニューの一覧をみることができます。

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【バウの道中記】2008年10月5日  武蔵野  月笑庵

【108の祈り・後】

とうとう自宅を売ってしまいました。このことは友人や知人や親戚まで悪い噂になっていきました。あいつは会社の経営がうまく行かずに家を売ったと思われてしまったのです。

自分の生活をやって行くぐらいなら、一つの会社の経営をやって行くぐらいなら、何とでも出来る自分があったのですが、目の前にオゾン層破壊、そしてそれに伴うオゾンホール拡大という、私たちの時間軸に限界を感じさせる現象が現れたのです。

家を売ったのはオゾン層のためだと、その噂を流す人たちに向かって言うことも出来たのかも知れないのですが、私は一言も言わずにいました。その方が、純粋な個体として動けると判断をしたのです。

今度は失敗するわけにはいきません。家を売って、もう一度西日本に出向くまでの3ヶ月の私の頭の中は、精密に働き出して行きました。

その当時、日本でフロンを製造していたのは、ダイキン工業、セントラル硝子、旭硝子、昭和電工、三井・デュポンフロロケミカルの5社でした。

この5社に何度も提案に行ったのですが、いくら私のような一市民が、業界にフロン回収を提案してみたところで、聞いてくれるはずがないのです。

そこで今度は、あえて遠回りをすることにしたのです。行政側から企業に指導をさせようとしたのです。それも少人数で、一カ所わずか3日間で仕上げて行ける方法を思いついたのです。

これは、考えて考えて考え尽くして生み出したものです。そしてその先、西日本にもどって、このやり方を展開していった結果、やっとすべてがうまく動き出して行きました。

では、ここから気分を変えて、舞台劇でも観るつもりでご覧ください。

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同時に3市町村の役場を動かすロビーイングについて:

まずは、ここに出てくる各キャラクターの紹介です。

冷蔵庫 :
その当時は、新しく冷蔵庫を買ったら、古い冷蔵庫を粗大ゴミとして出していました。その結果、その冷蔵庫の中に入っているフロンは、パッカー車などで圧縮されて回収される時に、悪いことだと知りながら、行政自らが大気に放出していたのです。そこを突いて行くことにしました。まずは行政から認識させることにしたのです。
気が長いと思われるかもしれませんが、その後、行政に「お前たちも、やれ〜!」と業界に号令をかけさせる作戦にしていきました。

回収機 :
その当時、群馬県がフロン回収先進県となって行ったのは、県内で優れた性能のフロン回収機が生まれたからです。この回収機をどんどん西日本の行政に紹介して行くことにしました。
中島自動車電装:<http://www.nakajimadensou.co.jp/>

3市町村:
この3市町村の配置については、近くでもなく、遠くでもなく都道府県をまたいでもいいですから競争しやすいように、大、中、小の規模の3市町村をランダムに選びました。地方自治体の特性は、何でもトップになってやり出そうとするのは苦手なのですが、その反面、その地方で最下位のどん尻になってしまうのを大変いやがるものです。その行政特有の競争原理を利用していきました。

行政マン:
役場の中で、ゴミなどを担当する環境部の職員。この行政マンが一番弱いのが、その部署が所属する委員会の議員です。この議員に弱いと言う性格をうまく利用していきました。

議員さん:
環境部の委員会の議員。議員というのは当選したら全員何らかの委員会に所属することになっています。その中で通常、当選回数が一番多い議員さんが委員長になっています。そんな議員さんが一番弱いのが、市民からの提言と評価(メディア)です。

市  民:
ここに、友人や知人を当てはめて行きました。

メディア:
新聞社やテレビ局と連絡を取り合いました。

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この街とあの町とあそこの村を同時進行で変えてやるぞと決めたら、ひとつ目の市役所の中の環境部のカウンターの前で、挨拶からはじめて行きました。私の場合こうでした。もちろんアポイントもとらないで。

「あの〜。この環境部で一番偉い人、今日はいらっしゃいますか?突然のことですが、今日この街で市民の方から依頼されて、オゾン層保護の講演会をやることになっているのですが、その前に、フロン回収など、どんな対応をさ れているのかを聞きたいと思って来たのですが・・・」

いろんな話しが出来そうな行政マンが出て来たら、もう一押ししていきます。

「たぶん、その講演の中で、この市がどんな対応をされているかという話しになって行くと思うので、そこをお聞きしたいと思って事前におじゃまさせて いただいたのですが・・・」

もうひと押し・・・

「はい。フロンのことです。フロンです。行政が集めていらっしゃる、冷蔵庫の中に入っているフロン対策のことです。そうですか、まだこの市ではやっ ておられないんですか。そうなんですか・・・。では、どうしましょう。み なさんに、どう説明しておけばいいのかと、お聞きしたかったのですが、どう説明しておきましょうか?」

たいていの場合、ここから行政マンの言い訳が始まっていきます。このあたりではまだどこもやっていないとか、そんなところになかなか予算は付けられないと言った部類のものです。

「では、しょうがないんで、今日、お集りいただく皆さんにオゾン層とフロンガスの関係のことをお話しするのですが、たぶんその市民の方達が、すぐにでも、こちらにその対策などを問いかけに来られるようになると思いますの で、とりあえず、今日、皆さんにお渡しする資料を、お先にお渡ししておきましょうか?時間がある時にでも読んで頂くと、いいと思いますで・・・」

ここでドデカイ量のファイルブックを取り出して、その中から30枚ぐらいの資料を取り出して、その資料について少しづつ出来るだけ簡単に説明していきます。NASAのデータとその翻訳文。ドイツとスエーデンの回収政策。群馬 伊勢崎市役所の回収開始の新聞コピー。回収機のカタログなどなど。

その当時は、まだインターネットがあまり普及していない頃なので、こういう専門的な資料がなかなか手に入らない事情がありました。この資料の説明を聞き始めた行政マンはたいていの場合、この辺りからその態度が変わって行くのです。

この説明の頃には、奥のソファーに座らせて頂いていました。誰か違う人に資料のコピーをお願いしたら、さあ、ここから肝心要の話しに入って行きます。

「ご存知かもしれませんが、この前、○○市と○○市の議員さんがフロン回収の質問をしたらしいですね。今度、予算を取ることが決まったらしいです」

もうひと押し。

「そうだ、その質問の時なんですが、環境部が資料を揃える時間がなくって、急遽群馬の方に連絡をして、どんな質問をされたのか、どんな答えを用意し たのかなどを聞いたらしいです」

「え〜と、えぇ〜と、これこれ。これです。その時群馬の方から渡した資料と言うのが、これです。この資料を5日間かかってつくったらしいです。どんなことを質問されてもいいように、20の質問を想定してその答えを書き込 んで行ったらしいです。ん〜と、そうか。これもコピーしておきますか?」

ここまでが、行政マンに対しての私の仕事です。それも初対面からわずか30分ほどのものです。

資料を渡し終わる頃は、もう信頼関係が生まれていました。その後、市役所を離れるよう見せかけて出て行くのですが、実はそのまま議員会館へ直行です。

この議員たちの事務所と会議場がある議員会館の案内所で、議員たちの名前が連なって書かれている委員会のリストを手に入れて市役所を出るのです。

さて、今度は友人との打ち合わせです。友人にはここまでの経過を説明して、この後の打ち合わせをしていきました。打ち合せの中心は、環境(大気)の委員会の委員長と仲良しの議員さんをリストの中から捜し出すことです。

委員長は進行となって質問が出来ないので、その親友の議員にフロン回収の質問をさせようとする作戦なのです。ここでは、野党には話しを持って行きませんでした。このことは大変大切なことなのですが、よく誤解が生じています。

ロビー活動と言うのを勘違いして、自分たちの主義主張を通しやすい野党の議員を動かそうとする人たちが多いのですがこれは間違いです。ロビー活動と言うのは、あくまでも多数派に働きかけて、その政策をショートカットして実行に移させる道具なのです。

さて、質問させる議員さんが決まれば、ここではじめてアポイントを取って、その友人(出来れば女性で、仲間の奥さん方を5人ぐらい手配できる人)と一緒に、その議員さんに会いに行きました。

その時に、新聞社を呼んで取材してもらうのが、後々の決め手となりました。

議員さんには、行政マンに話しをした内容を、ほとんどそのまま話して行くのですが、私が行政マンに会ったことは話しをしないようにしました。

議員さんには、お母さん方が集ってフロンガス回収の陳情に来たと思わせれば成功です。その話しの中で彼が喜ぶのが、「この地方ではじめてなので、これはトップランナーとして新聞に載るんです」や「先生が予算委員会でこの質問をして下されば、この市が、この県ではじめての、環境重視の市町村になるのです」という言葉でした。

そして、奥さん方が陳情書(私が事前に作成しておいたものです)を議員に渡す姿を、新聞記者がフラッシュをたいてパチリとやる。これで完成です。

事務所から出る時に、誰にも分からないように、議会の質問用の用紙をお渡ししていきました。これは、行政マンに渡した解答用の資料ではなく、10問の質問が書かれた用紙です。(これも事前につくったものです)

この議員さんの訪問は、夕方にすることにしていました。翌朝の朝刊に載せて もらうためです。この朝刊を手に入れるまで、私はその辺で休憩です。そして それらの新聞記事が数十枚ファイルにたまっていきました。それが、また私の貴重な道具となって行ったのです。

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どうですか、これが一連のロビー活動の詳細です。家を売ってから、2年間。
私は西日本の市町村をロビー活動をしながら、友人たちがストップ・フロンというNPOをつくる手助けをしながらどんどん廻って行きました。
http://www.jason-web.org/about-us/our-goal

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【特定非営利活動法人ストップ・フロン全国連絡会 設立趣旨書】からの抜粋
http://www.jason-web.org/about-us/our-goal

ストップ・フロン全国連絡会は、1993年3月7日、フロン等の大気放出を止めるため,石井史高崎経済大学教授が協力者を得て,フロン回収を進めるためのシンポジウムを群馬県高崎市で開催したことに始まる。以来、全国でフロンの回収・処理を進める様々な事業を展開してきた。その結果、現在では全国で約 50のオゾン層保護活動を行う地域団体をネットワークする組織となった。

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1995年1月15日から2泊3日の予定で、群馬県の水上温泉でオゾン層保護活動の会議が開かれました。会議と言っても私が一人でどんどんしゃべっていく形態のものでした。

その頃は、すでにオゾン層保護活動が以前と比べて少しだけ脚光をあびるようになって、いろんな人が私のやってきたことを聞きたいと言うことになって、主に大学の環境系の教授たちが集って、私の話しを聞いてくれることになったのです。

そろそろオゾン層保護活動は総仕上げの時期を迎えていました。石井先生たちは次ぎの展開を考えていたようですが、私はこの会議が終われば、西日本には戻らずに、関東の動きの主軸になってまだ始まったばかりの全国各地の回収運動をサポートしながら、その先の国の法整備のお手伝いを、カヌーをやりながらのんびりやって行こうと考えていました。

ところが・・・・・。

この会議が終わったその朝に、阪神大震災が起こってしまったのです。
(ここからは『いのちの力をつかまえろ』サンマーク出版をお読み下さい)

水上温泉の会議が終わった朝に阪神大震災ですから、石井先生とは結局その後の大切な国への提言や全国のまとめ方など、この活動の総仕上げをして行く話しが出来ずに、神戸に入って行ってしまったのです。

私は神戸で、新たに目の前に現れたドデカイ問題に忙殺されていきました。これからオゾン層保護活動の総仕上げをしようとしていた時期にです。

その後、大混乱の神戸にまでオゾン層保護活動をどうやって行けばいいのかと聞きに、いろんな人が私をたずねて来てくれたのですが、まともな話しをする時間もつくることが出来ない状態が続きました。

そんなこともあって、私のこころは滅入っていました。と言うのも、まだまだ フロン回収にはいろいろとやることがあったのですが、この自分を神戸から離して関東にもどすことが出来ない状態だったからです。

目の前の震災は誰にでも感じることが出来るのですが、それに比べて誰にも目が届かないために、ついつい忘れられがちのオゾン層。この神戸の4年間、私はオゾン層のことを何も出来なかったことに、こころを痛めていました。

この二つ。阪神大震災とオゾン層保護活動の両立が出来ない自分にいらだちを感じていました。どうしたらいいんだろう?私の中で解答をなかなか見い出すことが出来ない、難しい悩みでもありました。

悶々とした中で、神戸での日数がどんどん増えて行きました。そして震災から4年目、落ち着き始めた1999年1月17日に至った時に『108の祈り』をやろうと決意したのです。

しかし、それまで回収しようとしてきた日本中のフロンのほとんどが、大気に放出されていました。こうなれば、もうあやまるしかないと思いはじめたのです。何も出来なかった自分を許してもらうためではなく、ここまでしか出来なかったけど『思い』はいつもオゾン層にまで届くようにと念じていたと、伝えに行きたかったのです。

私は23万キロというオゾン層の高さまで自分の意志と体を使って登って行って、大気圏に漂っているオゾン層にあやまりに行くことにしたのです。

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私は『108の祈り』の準備に入って行きました。それまでの私の登山歴というのは皆無の状態でした。それまでの私の最高峰は、生まれ育った場所からいつも見ていた生駒山という山で、その標高は642mしかなかったのです。

そんな私が、いきなり冬山の本格登山から始めて行こうとするのですから、これは無茶な話しです。が、しかし、それが命がけと思えていたからこそ、そこに徐々に気迫が生まれて行きました。

登山ルートが示された山地図をどんどん研究していきました。たいていの場合一つの山に複数の登山口があるのですが、どの登山口から入って行くか、登りは何時間かかるのか、下山に何時間かかるのか、この山から次ぎの山までは何時間かかるかなど、時間が許す限り、神戸元気村の事務所で夜勤の留守番をしながらどんどん調べて行きました。

そして、『108の祈り』を始める日を迎えたのです。

神戸の再度山から始めて、すぐに関東に出て行き、まだ雪山だった箱根神山を登り、まだ登山道が凍っていた伊豆半島の天城山、茨城県の筑波山、氷の道を登って行った秩父の両神山、東京の最高峰の雲取山、大菩薩、神奈川の最高峰の丹沢蛭ヶ岳・・・新米のおじさん登山が始まって行ったのです。

4月のはじめ頃は、山で出会う人の中でも、まだ何も知らない新米のように扱われていたのですが、7月を迎える頃には、登頂した山が40座を越えていたので中堅のベテランを見る様な目つきでいろんなことを聞かれる立場になっていきました。

この山登りの中の話しについては、いづれ何処かで詳しく書きたいと思っていますが、その中身があまりにもスピリチュアルな濃厚な話しになるので、この中では字数が多くなるので、書くのをやめておきます。

秋が深まった9月21日のことでした。この時の私は、2日後から始める北アルプスの13座を一度も麓に降りずに峰伝いに走破して行く大縦走をやろうとしていて、それに向けて安曇野で保存食の買い付けをやっている時でした。

私の留守を守ってくれていた神戸のスタッフから電話が入ったのです。

台湾で大きな地震が起きて、神戸のスタッフの中からも、すぐにでも台湾に行きたいという人がたくさん出て、このままだと神戸元気村の運営が出来なくなるので、バウさんどうかすぐにでも神戸に戻って欲しい、という電話の内容だったのです。

この時は、長い電話になりました。前にも書きましたが私が『108の祈り』 をやろうとした動機について、誰にも話していなかったのです。だから、私が気分転換をするためにとか、山に憧れていたからとか、神戸から逃げ出したと 思っている人が多かったのです。

この時、いろんな言い訳を思いつくまま、話してみたのですが、順番に出て来たスタッフたちは、やはり理解してくれませんでした。

そして、これが最後だと思ったので、最後に正直にオゾン層のために23キロを登ってあやまりに行くんだと言ったのですが、スタッフたちには、この話しの方が、他の言い訳よりも信憑性がなかったように聞えたようです。

笑われました。

私は笑われるとは、思っていなかったので、電話口で泣いてしまったのです。

結局、スタッフの一人が最後に言った「バウさんしか出来ないことがあるんです。みんなそれを期待して電話をしたのです」という言葉でその電話は終わったのですが、その電話を切って一晩眠らずに考えて、朝方『108の祈り』を中断することにしたのです。もし、台湾の件が早く終われば、またすぐにでも復帰しようとも考えていました。

この時の、スタッフの最後の言葉が気になっていたのですが、その答えはすぐに私の目の前にあらわれて来ました。

その日のうちに、中央高速で名古屋に向けて走って行ったのですが、その途中のサービスエリアで食事を取っている時に、テレビで台湾大震災のニュースをはじめて見たのです。

その中で、台湾からの留学生が帰りたいけど、お金がないから帰れないと言ったの見て「これだ!」と感じて、すぐに神戸のスタッフにテレビ局に電話を入れて、その留学生の電話番号を調べるように手配をしました。

名神高速の関ヶ原の坂を登っている時に、神戸から返事が届きました。本来はそんなことはしないと言いながら、神戸元気村さんだからといって、テレビ局がその留学生の電話番号を教えてくれたらしいのです。

滋賀に入って行くトンネルを越えてから、私はその留学生に電話をしました。いろんな話しを聞いたのですが、やはりこの留学生は人間性に優れた何かを持ち合わせている人物でした。

私が神戸に着いて、最初にスタッフたちに言ったのは、日本に来ている台湾の留学生を、私たちが一時帰国させる準備に入るからねと言うものでした。

台湾というのは、華僑に代表されるようにビジネスとお金儲けが中心的な価値をもっている国なのですが、これでその気風を少しだけでも正すことが出来るかも知れないと、みんなに説明していきました。

その日から、今まで神戸元気村を支援してくれていた人に、もし、少しでも台湾に支援をしたいと考えているなら、留学生に一時帰国の航空券を渡すプロジェクトを開始したのでこちらに寄付をして欲しいという内容のメールやファックスや電話をしていったのです。

その結果143人の留学生に往復の航空券を渡すことができました。それも、 留学生たちは、被害の一番大ききかった埔里(プーリー)に私たちが立ち上げた埔里元気村に所属して、その地域の救済に入って行ったのです。

後日、台湾政府から賞状をもらったのですが、それよりうれしく感じているのは、今でも時々台湾から届くその当時の留学生たちのメールです。

みんな30代になって、台湾でそれなりの地位についたのですが、時々日本語の学習をするために、このサイトに来ているらしいので。そんな内容の日本語のメールが届くたびに、私はうれしく思っています。
神戸元気村の歩み:
http://www.peace2001.org/genkimura/

気がつけば、すでに12月に入っていました。残された山々は、すっかり雪景色です。もうすぐクリスマスという時期まで、無心になって留学生の応援をやっていたのです。『108の祈り』はあきらめるしかなかったのです。

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考えてみれば、私がやった一連のオゾン層保護活動は、私自身の危機感から生まれたものでした。この危機感と言うものを一度分解して、解析して、改めて整理箪笥に入れて整理して行くと、私の要らないものだらけの狭い部屋が、シンプルですごしやすく、やすらぎまでも与えてくれる部屋へと変身していきました。

そこで分かったのですが、たとえ、どんな種類の危機的な状況を迎えてたとしても、それらに真正面から立ち向かって行く姿さえあれば、それらの問題は、自分の人生の学習のためにあると言えるものに成り代わるのです。

すべてが学習するためにある。すべてが自分と関係するために存在する。
それらの存在を気づける自分がそこにあるかどうかなのです。

すべてのものが自分のためにそこにあると思えた瞬間から、それらの存在は『体験』と呼ばれるものになるのです。同時に、危機感も恐怖感も焦燥感もない新しい世界観が生まれ出すのです。これが、生きるってことなのです。

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つい最近、一青窈さんの『ハナミズキ』という歌に出会いました。

この曲はヒットして、たくさんの人がすでに知っているようですが、私がこの『ハナミズキ』をはじめて聞いたのが、ほんの一月前のことでした。

FMから流れて来たこの歌をはじめて聞いた時、胸がきゅ〜んと、どよめきました。その時、とっさにおぼえた『百年つづきますように』という歌詞をたよりにタイトルが分からないまま、この歌を探していったのですが、やっと見つけて、歌詞を全部読んだ時は、大声を出して泣いてしまいました。

『108の祈り』の神髄が、わずか五行の歌詞になっていたからです。

♪待たなくてもいいよ
♪知らなくてもいいよ

♪僕の我慢がいつか実を結び
♪果てない波が ちゃんと止まりますように
♪君と好きな人が 百年つづきますように

この歌を何度も何度も聞いて行くうちに、私のこころの中の『純粋な部分』がよみがえって来たのです。そして・・・

『そうか、まだやり残していた山に、今度はご恩返しに出かけてみよう』『よ〜し、またやるかぁ』という気持ちが生まれ出したのです。

すでに私の体力はそうとう低下して来ているのですが、もう一度、命を燃やして、残した山に入って行こうと決意するようになっていきました。この先の道は、28座とまだまだ長いのですが、純粋な気持ちがあるうちに登って行きたいと思います。

『ハナミズキ』を一度聞いて下さい。歌ができた背景も知ることができます。
http://jp.youtube.com/watch?v=qeHvcD6ehH0&feature=related
一青窈さんと徳永英明さんのコラボがおすすめです。
http://jp.youtube.com/watch?v=Fk7ldepb3Zw&feature=related

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【残された28座】2008年10月9日現在(57歳誕生日)
●朝日岳1870(山形県) ●飯豊山2105(新潟県)
●会津駒ヶ岳2133(福島県) ●魚沼駒ヶ岳2003(新潟県)
●平ヶ岳2141(新潟県) ●巻機山1967(新潟県)
●武尊山2158(群馬県) ●鳳凰山2840(山梨県)
●雨飾山1963(長野県) ●高妻山2353(長野県)
●白馬岳2932(長野県) ●五竜岳2814(長野県)
●鹿島槍岳2889(長野県) ●剣 岳2998(長野県)
●立 山3015(長野県) ●薬師岳2926(富山県)
●黒部五郎岳2840(岐阜県) ●水晶岳2986(富山県)
●鷲羽岳2924(長野県) ●槍ヶ岳3180(長野県)
●穂高岳3190(長野県) ●常念岳2857(長野県)
●笠ヶ岳2897(長野県) ●八ヶ岳2899(長野県)
●白 山2702(石川県) ●荒島岳1523(福井県)
●大 山1729(鳥取県) ●宮ノ浦岳1936(鹿児島県)

【登頂した80座】1999年2月21日〜9月21日 213日間で登頂

○利尻岳1721 ○羅臼岳1660 ○斜里岳1545 ○阿寒岳1499
○大雪山2290 ○トムラウシ2141 ○十勝岳2077 ○幌尻岳2052
○羊蹄山1898 ○岩木山1625 ○八甲田1584 ○八幡平1613
○岩手山2038 ○早池峰山1917 ○鳥海山2236 ○月 山1984
○蔵王山1841 ○吾妻山2035 ○安達太良1700 ○磐梯山1819
○那須岳1915 ○燧ヶ岳2356 ○至仏山2228 ○谷川岳1977
○苗場山2145 ○妙高山2454 ○火打山2462 ○男体山2486
○奥白根2578 ○皇海山2144 ○赤城山1828 ○草津白根2171
○四阿山2354 ○浅間山2568 ○筑波山877 ○焼 岳2455
○乗鞍岳3026 ○御嶽山3067 ○美ヶ原2034 ○霧ヶ峰1925
○蓼科山2530 ○両神山1723 ○雲取山2017 ○甲武信岳2475
○金峰山2599 ○瑞牆山2230 ○大菩薩2057 ○丹沢山1673
○富士山3776 ○天城山1405 ○木曽駒2956 ○空木岳2864
○恵那山2191 ○甲斐駒2967 ○仙丈岳3033 ○北 岳3192
○間ノ岳3189 ○塩見岳3047 ○悪沢岳3141 ○赤石岳3120
○聖 岳3013 ○光 岳2591 ○伊吹山1377 ○大台ヶ原1695
○大峰山1915 ○剣 山1955 ○石鎚山1982 ○九重山1791
○祖母山1756 ○阿蘇山1592 ○霧島1700   ○開聞岳924
○再度山470 ○六甲山931 ○箱根神山1438 ○位 山1529
○五葉山1341 ○玉置山1076 ○三輪山467 ○金剛山1125

♪待たなくてもいいよ
♪知らなくてもいいよ

♪僕の我慢がいつか実を結び
♪果てない波が ちゃんと止まりますように
♪君と好きな人が 百年つづきますように

 
TOP > バウの道中記 > 2008/10/5

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