インパク会場 カンボジアから帰って来て、あっという間に1ヶ月が過ぎてしまいました。この間、新聞、雑誌などにカンボジアのことを発表してきたけれど、このサイトには少し肩の力を抜いた写真ルポを書いていこうと思っています。あちこちに話は飛ぶけれど、私が見たまま聞いたままの「ナマ・カンボジア」をお届けします。お楽しみに。

 

「共産圏の地雷」

 地雷の実物を見せてもらって、たいへん丁寧に説明を受けた。最初、ビデオを見るように言われたのだけど、どういうわけかデッキが故障してビデオが映らなかった。説明ビデオが嫌いな私はホッとする。カンボジアまで来て、ビデオなんか見たくないよ、と心の声。
 地雷にはいろんな種類があるけれど、カンボジアの地雷の多くはロシア製、中国製、ベトナム製。特にロシア製が多いとのこと。
 カンボジアも、ロシアも、ベトナムも、同じ社会主義の国々なのに、どうして同じ主義主張の国で地雷を埋めあうんだろう……と不思議に思う。この時点で、私はまだ複雑なカンボジアの近代史を理解していない。
 変だな、って思う。ベトナムとアメリカが戦争していたのは、アメリカが民主主義だからだ。でも、カンボジアはなぜ? 仲間同士なのにどうして地雷を埋めるの?
 しかし、これはきっと基本的なカンボジアの知識があれば誰でも知っていることなのだろうと思い、質問するのをやめる。その後、ホテルで必死にカンボジアの歴史を読み、愕然とする。
「地雷撤去に対する日本人の意識についてどう思いますか?」
 と質問した。そしたら、意外な答え。
「たいへん高いです。一般市民の意識はヨーロッパよりも高いです」
 ええっ? そうだったの? こっちは低いと思ってたのに。
 きっと、つい最近、TBSの地雷ゼロキャンぺーンが多額の支援金を寄付したことの影響なのかもしれない。
 世界の地雷撤去NGOはすでに10年も前から活動を始めている。
 アジアで唯一のG7加盟国であり、先進国の日本は、10年前はバブルが弾けて、バブル時に盛り上がっていた「社会貢献」とか「メセナ」があっけなくしぼんだ。
「他人の家の災難より、自分ちの家計が大事」みたいな感じだったんじゃないかな、この10年って……。5年前に神戸の大震災が怒ったとき「個人の支援」という、ある動きが起こった。一人でも何かを始めるっていう、動き。自分ができることから始めるっていう動き。そこから、また新しい何かが、芽生え初めてきた。そんな気が私はしている。

 


地雷の数々

これまでのルポ
カンボジアは水の都だった
わからなくても真面目に
共産圏の地雷
地雷を踏むような気がしてしょうがない
リサイクルはさせない
マラリアになったらタイに行け
地雷原の小学校
ここがポル・ポトの墓だ

アンコール・ワットは水の都
タ・プローム遺跡の巨木たち
一人できる!の実践者

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文:田口ランディ


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