碓氷バイパスに入ったあたりで、私はジョンを感じ始めていた。
この辺りに来るといつもそうなのである。
もうすぐ12月8日がやってくる。ここまできたんだ。万平ホテルに寄ってみよう。
私は静かにジョンに会いたくなると、いつもここに来るようだ。
軽井沢の通りには人がいなかった。万平ホテルに向かう夜道は雪で凍っていた。
私の人生の中で、最初に人を本格的に愛したと思えたのがジョンである。
凶弾に撃たれたとラジオの第一報を聞いた時、その時も私はここまでやって来た。
ホテルの近くのyokoさんの別荘の軒先で、ひとりで朝まで一夜をあかしたのである。
ジョンは以前の家族とあまり接触できなかった事に、心を痛めていたのであろう。
yokoさんとの間に、ショーンが生まれ、音楽活動も平和活動もいったんやめ、家政夫のような毎日をおくるようになり、
その時期この辺りを毎年のように訪れていたのである。
この別荘の敷地は広く、建物は敷地のまんなかにちょこんと建っていた。
私は、あの『イマジン』のピアノのイントロが聞こえてくると、この白いペンキが塗られた建物の中から・・・、といつも思ってしまうのだ。
ジョンは日本の骨董品が好きで、この別荘は毎年膨大な骨董品の倉庫になっていた。
クリスマスの装飾がまばゆく光る音羽の森を過ぎた辺りから、私はジョンに話しかけていた。
ジョンとショーンと私の誕生日の10月9日に、NYタイムズに全面広告が出来たこと。
アメリカ政府が『イマジン』の放送自粛をかけたとき、日本中に呼びかけて世界と連動させて歌ったこと・・・まるで報告でもしているようである。
万平ホテルのカフェテリアは終わっていた。フロントマンが丁寧にバーでコーヒーをどうぞと案内してくれた。
誰もいないバーでコーヒーが出るまでひとりになった。
カウンター席にひとり取り残された私は泣き出した。
淡々とやっているように感じていたのであるが、私は孤独で困っているようなのである。
私はジョンに聞いてみた。
「ジョン!私はこれでいいのかなぁ?」
しばらくして、ジョンの声が聞こえてきた。
「このままで いこう」
Osyo Bow Yamada
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