私は秋田魁新報を訪問するのはもう5度目である。
今回の取材を担当していただいた記者の方は、目を輝かせた若者であった。
本来は警察畑の人で、畑違いのこんな面白そうな取材をよろこんでくれた。
これでいずれ秋田県の人達にも、『戦争中毒』が認知される時がくることだろう。
これまで東北を回った感想は、いたって保守を厳守する地域と感じたことである。
しかし、魁(さきがけ)とうたう社名からであろうか、秋田は一人の青年記者から、その先の明るさを見つけることが出来た気分である。
東北では、たいていの場合、『戦争中毒』を見せた時点で、コレは上の人に聞いてみないと、記事に出来るかどうか分からないと言われてしまうのだ。
山形新聞がその典型のような、取材となった。
一応の取材をしていただいたのであるが、載るか反るかまったく分からない。
記者の目が、まったく輝いてこないままに、取材が終ってしまったのである。
コレは、各地の読売新聞の記者たちに感じたコトと共通しているものである。
どうせ、これは記事にならない。社の方針から、はずれている。
デスクは、取り上げないであろう。という雰囲気をかもし出すのである。
出来ることはやった。雪の中を夜駆けでやったのである。
あとは、『山形賢人』にまかせよう!
その後私は、山形市から新潟市までのルート選びにてまどった。
大雪なのである。そんな中、私は雪に慣れない高知ナンバーの関西人なのである。
私は最短距離の小国街道で行くことにした。この道は以前【こころの分灯】で新潟から山形に向かった時に、ひとりで歩いた長い峠道である。
ところが、小国の手前まで行ったところで、やはりアイスバーンに立ちふさがれた。
この先、日本海の近くまで山道ばかりなのである。
ここで私は1時間ばかり、昼寝をした。寝不足で疲れ果てたカラダを横にした。
ここでこのままもっと道に雪が積もってくれれば、すべることもなく行けると思ったのであるが、しかしやはりダメであった。
この前、青森で坂道の『黒い道』を経験してから、私は変な癖が出るようになってしまっているのである。
車がすべるような場所に入ると、恐怖と緊張から首から上が横向きに震えだし、どうにも止まらなくなるのである。コレはおもしろい絵になるのかもしれない。
51にもなるおじさんが、雪のなかで頭をふって興奮しているのである。
私は道を引き返し、13号線で福島方面に抜け出し、磐梯から会津若松、そしてその先の新潟を結ぶ、高速道路にルートを変えた。
ところが、この高速が大変だった。
それは高速道路ではなく「低速道路」であった。
一般道と比べ、アップダウンが少ないので確かに走りやすいのであるが、私は会津から新潟市まで約100キロを時速20キロで走りきったのである。
時速20キロで。20キロだよ!
途中、やっと山道が終わり新津の平野に出た五泉のパーキング辺りのことである。
ゆったりとした右カーブを曲がったところで、車5台の事故に出くわした。
最後尾の車は、ほんの先ほど私を80キロぐらいで追い抜いたトラックであった。
私がこのカーブに差し掛かったときに、この車のぶつかる音が聞こえてきた。
私はこの音を、雷の音だと思っていたのであるが、現場を見て驚いた。
追突したトラックが、まだスリップしたまま他の車を動かしているのである。
まるで怪獣のようにである。
私はバックミラーをすかさず見た。
私のすぐうしろの車は気づいてくれていた。若い2人である。
事故を起こした人達は、警察に連絡したらしい。
私たちはすぐに、この2台の車で後方から来る車を止めようと相談して、私は車を反転させ、もと来た道を200メートルぐらい逆走して、発炎筒を燃やし、後方の車を誘導することにした。
このときの若い2人がいいやつだった。
私より300メートルぐらい先の、吹雪の暗闇の中で30分ぐらいの間、懐中電灯を振り続けてくれたのである。
処理が終ってから、私はこの2人に『戦争中毒』を一冊あげてしまった。
事故現場にいながら、すがすがしい気持ちになったのが不思議である。
これは、事故現場からすぐに離れて後方誘導をやっていたからであろう。
献身的な若いふたりに拍手を送りたくなったのである。
この事故で、この『低速道路』は通行止めとなった。
そうなれば、こっちのものである。前にも後ろにも私ひとりなのである。
私はフロントガラスに舞いふぶく雪の中を、窓を開いてのんびり、のんびり。
いい音をききながら、時速20キロで、のんびり、のんびり・・・
Osyo Bow Yamada
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