あこがれの北海道は一瞬にして私の前から過ぎ去った。
青森最大の地方紙である陸奥新報の取材を無事おえて、港の駐車場に車を置き、22時45分青森発の夜行急行なまなすに乗り込んで、札幌に向かったのである。
もちろん道中は真っ暗で、憧れの白い大地の姿を全く見る事も出来なかった。
これが残念で残念で、
私は今回の全国行脚では、もったいない事ばかりを頭に描いて移動しているようだ。
青森と言えば、私は酸カ湯温泉を思い浮かべてしまうのである。
数年前、日本100名山の八甲田山の登山道から下山して、すぐに飛び込んだ温泉である。
青森では酸カ湯温泉にも立ちよれなかった。ここにはどうしても行きたいという、一念があったのであるが、先を急ごうと決断したのである。
札幌には早朝の6時に着いた。まだ札幌の街は夜の暗さを残していた。
駅の回りに早朝からやっている喫茶店もなく、駅の中のイス数もなく、私はバッグを床におき、その上に座って寒さをこらえて寝込んでしまった。
この日は日曜日、新聞社は記者が少なく、そのため私は珍しくアポイントをとっていた。
今回の意見広告に寄付を送って頂いた、北海道新聞の記者の方にお願いしてである。
北海道新聞社は、時計台のかどっこにあった。
私は去年も釧路湿原のカヌーガイドと知床の鮭の遡上のガイド業(本職)で、秋の北海道に2ヶ月も居たのであるが、街中が苦手なもので、今回時計台をはじめて見て、感想はやはり街中で時計台を見るより、北海道は大自然を体感する方がよっぽど良いに決まってるってところを感じていた。
担当記者は○○さん。意外にも私のことを以前からピースボート関係者から聞いていて、よく御存じの方で感謝である。彼は一通りのことを取材して、私を食事に誘ってくれた。
何か私のことを身内のように感じていてくれるようで、ありがたい居心地である。
彼は神戸の震災の時、京都の立命館の学生で特に震災の初期のころに、ピースボートから神戸元気村も送られてきた放置自転車を船に積み込む作業に参加してくれていたのである。また、愛しの彼女はカンボジアの地雷撤去にはまりこんだようで、私とはかなり共通点があるようだ。
そんな彼が、道新の記者になり私を取材する立場になってくれたのである。
たぶん、彼は一行でも多く『戦争中毒』を書いてくれるに違いない。
[高田屋]のおいしい蕎麦をおごってくれて、ありがとう!
この取材が終わり、すぐに札幌駅から函館に移動、ひとりロマンティックに函館で一泊といきたいのだが、22時のフェリーで青森に帰り、車をゲット、朝がた4時まで雪道の7号線を走り、アイスバーンに変化したところで立ち往生。
朝を迎え現在、秋田県大館市のネットカフェでメールチェックというところです。
雪国の『黒い道』には、気をつけよう!
私はこの『黒い道』に乗り上げて、またすごい体験をした。
『黒い道』をそのまま、何の判断もせず、走って行ったのである。
道が凍った『黒い道』を知ったことで、私はまた何かを得たように思っている。
世界中の人たちが、もうすぐこの『黒い道』を知ることになるだろう。
その道に入ってしまいそうだとわかれば、とどまろう!
知ってからでも、遅くない。その場で判断して、とどまることである。
Osyo Bow Yamada
|