夜遅く名古屋からブーメランを配信して、東名高速で静岡方面に向かう途中であった。
あいも変わらず、体調がすぐれない。おまけに眠気がきたのでSAに立ち寄った。
SAでは、私はいつもお気に入りのマグカップにインスタントのコーヒーを入れ、建物の中にお湯をもらいに行くことにしているのである。
お茶と間違えないようにと思いながら、気をつけてお湯をもらって一口飲んで、ふと振り向くと、テーブル席で大きな口を開いて丼を食べている人物がいた。
そこに居たのは、ミュージシャンの恵樹(keijyu)であった。
「オォ〜!!!」
夜中のこんな場所で会うとは・・・
お互いが驚き、この時建物の中にいた人は、二人の大きな声にさぞ驚いたことであろう。
恵樹は仲間3人でワゴン車に楽器を山積みして、関東にツァーに出かける途中であった。
恵樹とはじめて出会ったのは、数年前の原爆の残り火【こころの分灯】で和歌山の紀三井寺に分灯をさせてもらった時である。
今回の『戦争中毒』のキャンペーンでは、Chanさんたちと一緒に徳島県の世話役もやってくれた人物である。
4人でしばらく会話した。そしてそろそろ出発しようかという雰囲気になったので、私は恵樹に、何か渡すものはないかと考えた。
そうだ、手に入ったばかりのNYタイムズの意見広告が3部あった。
私は、1月6日付けのNYタイムズを彼にプレゼントした。
しばらくして、恵樹も何かを思いついたのであろう、車に『ある物』をとりに行った。
ここで恵樹が私にプレゼントしてくれた『ある物』がすごいのである。
ジョン・レノンの直筆のサインが入った、ジョンの写真だったのである。
それも、ひと目でリバプール以前のハンブルグ時代とわかるセミカラー。
私はそれを手にした瞬間、凍ってしまった。
また、恵樹がこの写真を手に入れた経緯を聞いて、なおも私は驚いたのである。
恵樹はその写真を手に入れたときのことを教えてくれた。
1991年、恵樹はギターをもってハンブルグに行った時、不思議な縁で当時18か19歳の女性と出会い、彼女が母と一緒に暮らす家に行ったのである。
その時にその娘さんから・・・
さて、
ここから先は恵樹に会って、直接、彼から聞いてもらうことにいたしましょう・・・
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/7353/
この日から、私は元気になりました。
ビートルズの初期のあたりを聞きながら、車の中で毎日大きな声で歌っています。
サンバイザーのポケットにジョンがいて・・・・・
『宝物』の交換が、いともたやすくできるのが、『仲間』と言うものかもしれない。
『仲間』という『宝物』を感じさせるのも、また『仲間』である。
Osyo Bow Yamada
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