昨年2002年は24都府県に「戦争中毒」を広めるため走りまわりました。

続けて、残り23道県をまわります。
各地で会合を主催していただける方、手を挙げてください。少人数でも0Kです!

近くの方は、おむすびとみかんとホカロンを持って駆けつけてください。
 
バウの携帯:090−3340−8391
メールは :<open-j@peace2001.org>
01月15日(水)
西名阪の街道は雪になっていた。
天理を過ぎてすぐの山道から天使の羽のような雪がふってきた。
私はまるで何かにつつまれたように、真夜中の道を夢心地で走っていった。

一夜明け、車の中で目を覚ました私は、いつものように「ここはどこだ」という問いかけからはじめていた。
昨晩の記憶をたどり、目をこすりながら周りを見て、しばらくしてやっと今居る自分の場所がわかるという生活なのだ。

目の前には河口堰。そう長良川である。
また、よくここまできたものだと我ながら、自らを感心させられた。
みんなでティピーとか流木ドームを作ったあの場所なのだ。

午後から名古屋の街中に入っていった。
FM三重は西名阪の積雪を伝えていた。
4時から中日新聞。6時から会合。
それが終わってからまた一路神奈川まで突っ走る。

愛知県を中心とした、中部地区といえば中日新聞である。
4時からの中日新聞は、ある人がアポイントを取ってくれていた。
ところが先方が30分遅れでやって来て、おまけにひと目で取材をしないとわかる態度であった。

忙しいのであろう、その記者はノートとペンも持たず現れた。
こちらが『戦争中毒』の本を見せて説明しようとしても、あまり興味もなさそうなのである。
そして彼からの質問は「資料はないですか?」と言うことだけで、一番大切な資料と言える、この本さえもあまり見ず、落ち着かないそぶりである。

私はここで判断して、思い切って言ってみた。
「もし、時間がないようでしたら本社の方に行かせていただきますが」

よかった!そのとおりになったのである。
しかし彼は本社の記者を紹介してくれなかったのである。
私はすぐに片付け、場を立った。
ある意味で、お互いの利害が明快に一致したようなのである。

会合まであと1時間。あまり時間がない。
私は急いで名古屋市役所から中日新聞の本社に歩いて行った。
ここからは、例によってのアポなし単独である。

受け付けから連絡を受けて、ロビーに下りてきてくれた記者は、満足できる人であった。
私が話し出して、わずか数分後には、記事に出来る、記事にするという意欲が見えてきて、10分後には、「系列の東京新聞にも出してもらうようにします」とまで言ってくれたのである。

名古屋市役所職員組合の会合は、うれしい会合であった。
事務所は市役所の5階にあるにもかかわらず、まるで長屋住まいという感じ。
あったかさの中に、みんなが忙しく動いている姿は、何か面白そうな雰囲気を出している。
意外だったのは、名古屋万博を反対し、長良川の河口堰まで反対してきたことである。
面白そうな人達が、真面目に一生懸命やっている姿には面白い空気が漂うものである。
なにか、久々の仲間に会えた感じがした。

会合は市役所本館最上階の屋根裏みたいな部屋で行われた。
会合自体は7人でアットホームというか、初のカツ丼を食べながらという会合であった。

この会合の中で私が提案した、有事法制に反対するための、着地点というか落しどころに、国際司法裁判所と国際刑事裁判所を使うべきだという話に、皆さんが大きく理解してくれたのがうれしかった。

政治力、それと紙一重の軍事力。20世紀はこの2つの力を過信して使い、結果的に戦いすぎたのである。
昨年12月17日、インドネシアとマレーシアの間で長年繰り広げられてきた領土問題が、結審した。もちろん国際司法裁判所である。
両国が紛争をやめ、国際司法に審判を仰いだ背景をお話したのである。

今後、有事法制反対!だけでなく、国際法で解決をと、活動の中心にしていきたいと言ってくれたのが嬉しい限りである。

さて、さて、体力が戻ってきたようである。
さて、さて、先を急ぐか・・・

Osyo Bow Yamada