狩集広洋さんの『HE/ART展』をご紹介いたします。3月2日は、私も一日参加して、はし っこで絵を描いたり、地雷の解説をしたいと考えています。どうか関東の人たちに参加を 呼びかけてください。(山田和尚) 狩集広洋 HE/ART展 会期 2002.3.2(土)〜3.29(金)11:00〜20:00 会場 WALL : 東京都港区南青山6-13-9ANIS南青山B1-A tel.03-3406-1833 fax.03-3797-0082 内容 期間中会場内にて3000枚のポストカードに絵を描きギャラリーを埋める。 イメージの生まれる瞬間を是非ご覧下さい。 ARTはHEARTの中にあると思い、考えずに描くうちに爆発的な自分のオリジナルを発見しま した。不思議なことにHEARTの最初のHを一番うしろにもってくるとEARTHになります。ひ とりひとりのARTがつながって地球という大きな生命体を作っているということかな?と 勝手に解釈しました。 地球上の生物のなかで唯一、人間は過去と未来の時間を線上に表すことが出来ます。 歴史や常識、名声、企画、計画、策略という線上の時間の意識のなかで、人類は産業を発 展させてきました。しかし、人間の心は物質的なものでみたされるものではありません。 線上の時間の意識のなかで、こころがみたされることは無いとおもいます。 数学上では線は点の並んだものという定義を中学の時に習いました。 しかし、点には面積も長さもありません。長さ0面積0が点の定義です。 その点が並ぶと長さができるという矛盾したルールがあったのを憶えています。 その矛盾が原因で今になってつじつまが合わなくなってきたようにおもいます。 いきものは数のルールだけでは割り切れません。 なぜなら、地球上の生物は全て1つ1つオリジナルだからです。 人間はもとより、同じ木の葉っぱや、みみずや、プランクトンでさえも1個体ずつオリジ ナルです。ひとつひとつのいのちが地球上の唯一の貴重なオリジナルなのです。 そしてひとつひとつのオリジナルの中に未知の宇宙があるのです。 情報化社会になるにつれて頭で理解することが多くなりましたが、実際に触ったり見たり 聴いたりしないと分からないことも数多くあります。 情報だけで理解したというおごりこそが大変危険なことだとおもいます。 考え方はひとそれぞれといいますが、考え方はコピーできます。感じ方こそがひとりひと りオリジナルなのです。 ひとりひとりが感じることに、制約なく自由に表現できる世の中こそが平和な世の中であ るとおもいます。考えずに描いた自分の絵からそういうことを感じるのです。 これからも0の時間でどんどん描き続けます。 狩集広洋 狩集広洋氏プロフィール 1959年大阪市生まれ 1986年狭山市市政イベントでライブペインティング 1987年なんば花月玄関でライブペインティング 1988年多田潔 狩集広洋 カレンダー展 ギャラリーカーサ 1989年青山ベルコモンズ等のファッションショウイベントでライブペインティング 1990年中野勝 狩集広洋 スカビズム展 ギャラリーピクチャー 1992年1991年度コンテンポラリーアート協会ベスト新人アーティスト展 1993年ザフェイスアート展 東名海老名SSギャラリー 1994年心斎橋筋2丁目劇場玄関にポストカードを展示 1994年〜路上やライブ会場、各アートイベント、フリーマーケットで野外個展 1998年狩集広洋HIMART展 クラブラブリッシュ 1999年狩集広洋RUFF STYLE DESIGN シティーギャラリー 2000年 RUFF STYLE DESIGN マーカス 2001年ノウミソ大宇宙展 KAKIBAKA(大阪)アンデパンタン(京都)龍岸寺(京都) 8年前の阪神大震災の時から心の動くままにポストカードに線画を描き続け、ギャラリー や路上等で展示。今までの作品は立体作品約6000点、50mX2.7m作品1点、線画は数え きれず。今回、山田和尚氏との出合いにより、この爆発的にうまれるイメージを社会に役 立てようと思い地雷除去の基金に売り上げの3分の1を寄付します。
市民ひろば「とめよう裁判の会」というグループの活動をご紹介します(事務局) □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 目次 ・ちらし表:東海巨大地震による浜岡原発事故を未然に防ぐために ・ちらし裏:原発震災を防ぐための裁判 Q&A(2002年2月13日版) ・呼びかけ文:浜岡原発運転差し止め仮処分裁判の原告になってください ・委任状サンプル □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 資料1:東海巨大地震による浜岡原発事故を未然に防ぐために □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ***************************************************** 東海巨大地震による 浜岡原発事故を未然に防ぐために (2002年2月13日版) ***************************************************** ↓ 阪神淡路大地震の10倍以上! 東海巨大地震が近づいていますが ↑ マグニチュード8クラス 浜岡原発は、震源域の真上にあるのです! ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 原告大募集!! スタートしました! ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ ★ 全国誰でもなれます。くわしくは次の資料 「原発震災を防ぐための裁判 Q&A」 をお読みください。 ***************************************************** 巨大地震に襲われると原発も危ない ▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲ 原発の核燃料は、運転スイッチを止めても、 ぼう大な熱を出し続けるため、 3ヶ月〜1年は水で冷却しなければなりません。 また、燃料棒のゆれによって核暴走が起こったり、 冷却水の配管や電気系の配線が切れ、 燃料の冷却ができなくなって メルトダウンを起こしたりします。 ***************************************************** 中部電力さん、 浜岡原発 止めてね! 動かさないでね! ***************************************************** 連絡先 〒420-0839 静岡県鷹匠2丁目12-10 ことぶきビル1F 市民ひろば「とめよう裁判の会」 TEL・FAX 054-247-8609 (月〜金 10〜3時)または TEL・FAX 054-653-2775 郵便局振込口座 00840-0-119312 浜岡原発を考える静岡ネットワーク ***************************************************** □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 資料2:原発震災を防ぐための裁判 Q&A □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ***************************************************** 原発震災を防ぐための裁判 Q&A (2002年2月13日版) ***************************************************** ■Q.誰に何を求めるの? ■A.中部電力に現在事故で停止している浜岡原発1号、2号の運転再開を しないことと、東海巨大地震が過ぎ去るまで3号、4号を止めておくことを 求めます。 ***************************************************** ■Q.なぜ裁判なの? ■A.新しい地震学によると、静岡県には震度7になる地域がいっぱいあり ます。静岡県民をはじめとする全国の多くの市民が心配をして、浜岡原発の 停止を求めてきました。 でも、国や電力会社は25年前に作られた設計基準のまま運転し続けると 言い、市民の不安に耳を傾けません。 そこで裁判に訴えるわけです。 ***************************************************** ■Q.誰でも原告になれるの? ■A.はい。訴える内容に賛同できる人は誰でもなれます。この裁判では 「被害は全国に及ぶ可能性がある」ことから、全国どこに住んでいる人でも 原告になる権利があります。また、原告の数が多い方が裁判の結果にも影響 を与えます。 ● 原告の費用として、1口 3000円お願いします。 ***************************************************** ■Q.原告は裁判所へ行くの? 何をするの? ■A.原告は裁判を担当の弁護士に委任する形を取ります。裁判を傍聴する ことはできますが、特に何かをする義務はありません。 裁判所へ行く義務も呼び出されることもありません。原告の中心的な人た ちは弁護士といっしょになって陳述書を書いたり、証拠を集めたりします。 ***************************************************** ■Q.浜岡原発が全部止まっても電気は大丈夫なの? ■A.4基がすべて止まっても中部電力が持つほかの火力・水力発電所で 供給可能です。真夏の一時に不足する場合は他の電力会社から送ってもらう ようにすればいいのです。これは通常行なっていることです。 ***************************************************** ■Q.浜岡原発が全部止まっても労働者、関連の会社や商店の人は困らないの? ■A.止めることが決まった場合、国そして電力会社、国民はさまざまな形 で協力、補償すべきですし、また、できることです。 ***************************************************** 連絡先 〒420-0839 静岡県鷹匠2丁目12-10 ことぶきビル1F 市民ひろば「とめよう裁判の会」 TEL・FAX 054-247-8609 (月〜金 10〜3時)または TEL・FAX 054-653-2775 郵便局振込口座 00840-0-119312 浜岡原発を考える静岡ネットワーク ***************************************************** □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 資料3:呼びかけ文 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ***************************************************** 東海巨大地震による浜岡原発事故を未然に防ぐために 浜岡原発運転差し止め仮処分裁判の原告になってください!! − 浜岡原発とめよう裁判の会 − ***************************************************** 2001年11月に、浜岡原発1号機が緊急冷却装置系統の配管破断と原 子炉の心臓部である炉心圧力容器からの水漏れ事故を相次いで起こしました。 この事故の原因は現在究明中で、老朽化や機構そのものの欠陥が指摘されて いますが、原子炉及びその周辺には膨大な数の機器・配管があり、それらす べての完璧な点検と安全の担保を維持することは不可能です。 特に、切迫しているとされる東海巨大地震に対して、それらの機器や配管 が破壊されることは充分予見できることであり、破壊により炉心が冷却不能 に陥った場合メルトダウンという過酷な状況を引き起こす可能性は大きいと みられます。これは大変な災害となり、東海地方はもちろん関東・北陸・近 畿地方におよぶ放射能汚染が予測されます。 現在、浜岡には中部電力原子力発電4基があり1基が建設中ですが、想定 震源域の真上に原発を建てているのは日本でも世界でも浜岡原発だけです。 国や中部電力はマグニチュード8.4に耐えられるように設計してあるとし て安全性を強調していますが、25年まえに作られた耐震設計審査指針は最 新の地震学の知見に照らしたとき、信頼性がなく原子力安全委員会でも全面 的な見直し作業が進められています。また、「国民の安全を第一に考えるな らば、地震が過ぎ去るまで原発を停止しておくべきである」という意見が地 震予知連絡会の元会長など地震学の専門家や多くの市民から出てきています。 国や電力会社がこのような立地条件でも安全であると主張する中で、私た ちの原発に対する意見「現在停止中の浜岡原発1・2号炉は運転しない。東 海地震が過ぎ去るまで3・4号炉を停止しておく。」ことについて、裁判所 の判断を仰ぐ必要があります。 これは、原発の推進・反対を問うものではなく、東海巨大地震が過ぎ去る まで原発の運転を差し止めておくことの請求です。原発周辺住民だけでなく 日本国民全体の問題であることの認識を一人でも多くの方に持っていただき、 原告団の一員となってくださるようお願い致します。 つきまして、下記の要領で別紙委任状にご署名の上、下記あて先へご送付 ・お振込み願います。 ・ 委任者の欄に、住民票表記どおりに郵便番号・住所・氏名・電話番号を、 必ず楷書でお書きください。 ・ 印の個所に押印してください。(2箇所) ・ 成年に満たない方は、親権者の戸籍謄本写しが必要です。 ・ 原告の費用として 1口3000円お願いします。(何口でも結構です) ・ 第一次締め切りは 2002年 3月15日 です。 (なるべくお早めにお願いします) *原告として住所・氏名を公表できない方で、賛同をしてくださる方は是非 カンパをお願いします。この訴訟は善意ある弁護士の方々にお願いして進め ますが、交通費・通信費などの実費は皆様の原告費用とカンパだけで運営さ れます。 ■あて先(連絡先) 〒420−0839 静岡県鷹匠2丁目12−10 ことぶきビル1F 市民ひろば「とめよう裁判の会」 T/F 054−653−2775 (月〜金 10〜15時:054−247−8609) ■振込先 郵便局 口座 00840−0−119312 浜岡原発を考える静岡ネットワーク □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 資料4:委任状 □□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ ***************************************************** 委任状 私は、 弁護士 海渡 雄一 、 只野 靖 (弁護士事務所 〒160−0022東京都新宿区新宿1丁目15番9号 さわだビル5階 東京共同法律事務所 電話番号03−3341−3133 FAX番号03−3355−0445) 弁護士 河合 弘之 、 望月 賢司 (弁護士事務所 〒102−0083東京都千代田区麹町5丁目7番地 秀和紀尾井町TBRビル814号室 電話番号03−3230−4400 FAX番号03−3263−7785) 弁護士 塩沢 忠和 、 阿部 浩基 、 藤森 克美 内山 成樹 、 青木 秀樹 に、次の件の代理を委任します。 相手方 中部電力株式会社 捨 裁判所 静岡地方裁判所 て 事件 浜岡原発運転差し止め仮処分命令申立事件 印 ・ 上記事件の訴訟行為、訴えの取り下げ、和解、請求の放棄、請求の認諾、調停、 控訴・上告・上告受理の申立て・抗告及びそれらの取り下げ、反訴の提起、弁済 金・物の受領、保管金納入及び受領、復代理人選任 ・ 担保保証の供託、同取消決定の申立て、同取消に対する同意、同取消決定に対す る抗告権の放棄、権利行使催告の申立て ・ 供託金還付請求、供託物及び利息利礼の払渡請求並びに受領 ・ 債権届出、債権者集会及び債権調査期日への出席、議決権行使ほか債権者として の権利行使 ・ 民事訴訟法第360条(同法第367条2項、第378条2項による準用の場合を含む)に よる異議の取下げ及びその同意、民事訴訟法第48条(同法第50条3項、第51条に よる準用の場合をふくむ)による脱退 2002年 月 日 委任者 住所 〒 都道 府県  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 氏名 印  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (電話番号 − − ) *****************************************************
きくちゆみさんからのメールを転送いたします(事務局) みなさん、こんにちは。ごぶさたしています。 「平和を創る旅」(というか、アメリカやイギリスで平和を創ろうとしている方 々と出会い、つなぐ旅)も終盤になりました。沢山の出会いに恵まれ、出合った 方々と心が通い合うと、小さな種(プロジェクトの構想)が生まれます。こうし てあちこちで沢山生まれた種を、これから土(場所)とお百姓さん(種を託す 人)を探して、種まきをしていきます。どの種がどこで芽吹いて、どう育つかわ かりませんが、あちこちで平和の芽が出て育つように、見守り、育んでいきたい です。 あちこち歩いて、いろんなアメリカ人と話して感じたことは、アメリカの政策を 変えるには、アメリカ人の大多数が「このままではアメリカが危ない。アメリカ 自身が変わらなくては」と気付くことが最も重要だということ。アメリカは日本 のように外圧で変わる国ではありません。アメリカ人が望んで、支持しているの が今のブッシュ政権(83%の支持率)だとしたら、この人たちはその本当の姿 (海外でアメリカが何をしていて、その結果世界中で人々と環境がどんなに痛め つけられているか)を知らないのではないでしょうか。 ブッシュ大統領は、大統領選挙でアメリカ国民の過半数の投票を得ずに選ばれた 初めての大統領です。なのに、9・11とそれに続くテロ報復戦争で、フロリダ を始め、各地での選挙不正工作疑惑も全部帳消しになり、あっという間に歴代で 人気ナンバー1の大統領になってしまいました。こんなことが可能になったの は、ブッシュ政権のメディア操作の巧みさと、軍産複合体の利益のおこぼれにあ ずかっている人たちや、あずかろうとする人たちの裾野が、過去に例がないほど 広がっているからです。もちろん、日本政府もこの「おこぼれあずかり組」の一 員です。これはとても危険です。アメリカにとってももちろん、他の国の人々と 自然にとって、そして多様ないのちを育む地球生命体の存続にとっても。 アメリカが「対テロ戦争」を今の方法(テロ組織をかくまっているとアメリカが 決めた国々へ軍事攻撃をすること)で続けることは、なんとしてもやめてもらわ なくてはなりません。そんなことはテロ対策として逆効果だからです。まず最初 にやることは、今この地球に生きているすべての人たちが、食べられ、安心して 眠れ、教育を受けられ、自由にものが言えるようにすることではないでしょう か。アメリカが爆撃で無実の人を殺せば殺すほど、アメリカへのテロやアメリカ 人の拉致は、さらに増えるでしょう。 テロは軍事力で防げないことが、9・11で証明されたのに、どうしてアメリカ 人がブッシュ大統領の「対テロ戦争」を支持するのか、どうして山積する国内問 題をほったらかして、多額の税金を軍事費につぎ込ませるままにしているのか、 アメリカの民主主義を信じてきた人は、みな不思議に思っています。沢山の素晴 らしいアメリカ人を知っている私も、「こんなこと(アフガニスタンで関係ない 人々が殺されても、爆撃が継続されたこと)を彼らが許すわけがない」と、ブッ シュ人気がとても信じられませんでした。 でもアメリカに来てテレビを見ていると、彼らがブッシュ大統領を支持するのも 無理もないな、と思いはじめました。アメリカ人が毎日毎日見聞きしている情報 は、本当に偏見と傲慢さに満ちている、と言ってもいいでしょう。「アメリカは 世界一豊かで自由で偉大な国であり、世界をテロから守れるのはアメリカしかな く、そのためにアメリカは最強の軍事力を保持し、自国と同盟国を全力で守る」 というものです。そこには、アメリカ(と日本など)の持続不能なライフスタイ ルと軍隊こそが、世界中の環境を破壊し、貧困と飢餓を蔓延させ、テロを生む原 因となっているという視点が欠落しています。 自分の本当の姿は(私自身もそうだけど)なかなか見えないものです。でも本当 の友達なら、友人が誤ったことや危険なことをしようとしたら、そのことを本気 で伝え、止めるでしょう。アメリカに大切な友人が数多くいる私としては、でき る限りのことをするつもりです。今ほど、アメリカの安全保障が脆弱になったと きはないですから。 ハワイで出合ったビルマのお坊さんに、「どうしたらアメリカの軍事暴走を止め られると思いますか?」と聞いたところ、彼はこんな風に答えてくれました。 「今やアメリカ人は、ブッシュ大統領(だけではなく、長年に渡る)の誤った外 交政策のせいで、第三世界ではびくびくしているよ。アメリカ人が自由に旅行で きるのは、先進国だけ。自由の国アメリカだって?とんでもない。アメリカ人は 世界中に嫌われ、怯えて、決して幸せではない。自分がしたことは必ず自分に跳 ね返ってくる。すべて原因があり結果がある。そのことを彼ら自身が悟るまで、 だれもアメリカを止めることはできない。」 「あなたが何かを創りたいなら、あなた自身がそのものになることだ。世界に平 和や健康や幸福をもたらしたいなら、まず自分がそうなることだよ」 ソビエト連邦の崩壊は、アフガン戦争での失敗とチェルノブイリ原発事故が引き 金になっています。アメリカもこのままでは、内部から崩壊しかねない、と感じ るのは私だけでしょうか。その上、アメリカ人はファーストフードやコカコーラ や甘すぎるお菓子など体に悪くてまずいものばかり食べて、肥満や不健康な人が 目立ちます(アメリカ人の70%が肥満)。40歳以上の女性の3人に一人が乳 がんになる可能性が高いという恐ろしいデータもあります。 唯一の希望は、この「戦時下」のアメリカで、数多くの勇気あるアメリカ人が、 自らの危険を冒しても平和を希求し素晴らしい活動を展開していることです。今 日は、沢山の種(プロジェクト)の中で、緊急に支援が必要とされているものを ご紹介させていただきます。 <「戦争中毒」という漫画をアメリカ中の子供たちに!> この旅の途中で、カリフォルニア在住のフランク・ドリルさんという平和活動家 と知り合いました。退役軍人でもある彼が制作した2時間のビデオ「私がアメリ カの外交政策について学んだこと」と彼の友人が描いた漫画本「戦争中毒」は、 アメリカ人自身に彼らの外交政策について真実を知ってもらうために作られたも のです。とくに「戦争中毒」は、データが正確で豊富、しかも漫画なのでわかり やすいです。フランクたちは、今この「戦争中毒」の最新版(9・11に関する 章を加筆し、データを新しくした)を印刷する資金を集めています。 今日までに1万ドル(140万円)が集まり、これで1万部が印刷できるそうで す。できれば、5万部から10万部ぐらいまとめて印刷してアメリカの子供たち (そして大人たちにも)に広く読んで欲しいと考えています。そこで、まとまっ たお金を貸してくれる方を探しています。寄付ではなく印刷資金の提供で、本が 売れて資金が回収できたら、返却されます(いつ売れるかはわかりません)。私 たちも家を建てるために貯めてきたわずかな貯金をそちらへまわすことにしまし た。これで2万部は印刷できることになりましたが、もうちょっと必要です。ご 協力できるかたは、私に個人メールを下さい。5000ドル(約70万円)単位 で1年ぐらい無利子で貸しても困らないよ、という方に限ります。よろしくお願 いします。 <世界中に呼びかけられている参加型平和イベント> 1、2002年2月20日、午後8時2分に行われる1分間の瞑想 西洋式にこれを書くと、20:02、20・02、2002となります。 このように数字がシンメトリに並ぶ時は、この瞬間を除いて二度とやってきませ ん。それぞれの時間帯で、この時間に静かな平和の祈りの時間を持ちます。 家族と、仲間と、集いをもって、あなたが住みたい地球のイメージを描いてみて 下さい。全てのいのちが尊ばれ、幸せに生きられますように・・。 (間に合わなかったら省いてください。3時間後ですね。ぎりぎりでごめんなさ い。) 2、2002年2月27日 満月の集い。大切な人たちと集い、より安心な、平和な、豊かな、持続可能な 地球を創る仲間を増やしていきましょう。世界各地で沢山の満月の集いが 開催されます。あなたもぜひ主催してみてください。 ハワイよりアロハとマハロをこめて (最後まで読んでくれてどうもありがとうございます) きくちゆみ
何人もの方の手を経て、事務局にたどりついた情報です。 (連絡部分割愛) > 池田香代子です。 > みなさまにBCCでお送りしています。 > > おかげさまで『世界がもし100人の村だったら』は116万部にたっし、先日 > 「100人村基金」を立ち上げて、まずは難民申請しているのに入管センターに > 収容され、非人道的な扱いを受けているアフガンの方々の支援に取りかかってい > ます。 > > きょうは民主党本部で『100人村』の話をしてきました。日本で収容されてい > るアフガン難民のことも。 > 帰ってきたらこんなメールが。長くて読みづらいのですが、読んでください。そ > してお知り合いに転送してください。 > > 事態は深刻です。私は基金からの差し入れなどで何度かみなさんにお会いしてい > ます。 > 自殺未遂をした2人はまだあどけなさを残した、ほんとに子供なのです。 > > ********************************* > > アフガン難民弁護団の方から、 > とても詳しく、そして恐ろしい内容のメールを戴きました。 > 転送許可をいただきましたので、お知らせいたします。 > これは転送可能な匿名バージョンです。 > > > 入管担当者の心無い発言、 > 誠意のない医師の対応を具体的に読んで、 > これまでもあまりよい噂を聞いたことがなかったですが、 > これほどまでにひどいとは、信じられない!という感じです。 > > そして、収容された方々が、 > 肉体的にも病気になったり、薬漬けにされたりして、ひどい状況ですが、 > 精神的にかなり追いつめられているようです。 > > 私は、今回壁に頭を打ち付けて倒れた方には直接お会いしたこともあり、 > 本当に、胸が痛みます、、、、 > > 長いですが、それだけの価値のある内容だと思います。 > ぜひご一読ください。 > > > ----------ここから原文---------- > アフガン弁護団、児玉です。 > R君(18歳)のことだけではなく、 > 牛久では14日、 > やはりアフガニスタン難民申請者A/J君(19歳)も自殺未遂をしています。 > 15日未明にも、首つりをしようとしたとのことです。 > > さらに、詳細は別途送りしますが、 > 16日朝、アフガン難民申請者で収容中のE氏が、吐血したことが判明。 > 弁護団から、急遽申入れをしましたが、 > 牛久の職員は「血を吐いたからと言って医者に診せるとは限らない。」 > 「月曜日には診せる。土・日は様子を見る。」と言って、対応してくれません。 > > 悲惨な状態になっています。 > > この情報は、メディア・外部に出すときは、匿名でお願いします。 > (転載者註: 対応済み) > > > > 報 告 書 > > > 当職は、アフガニスタン難民弁護団に所属する者であるが、 > 2002年2月13日、 > 弁護団依頼者の1人であるR氏(以下「R氏」という)が > 入国者収容所東日本入国管理センター(以下「収容所」という)の > 収容施設内で健康上の理由で昏倒した、 > また弁護団の依頼者であり被収容者であるA/J氏(以下「A/J氏」という)が > 自損行為に及んだとの情報を受け、事実関係を調査するために、 > 同月15日、収容所次長東郷秀憲氏と会い、 > またQ氏(以下「Q氏」という)、A/J氏、R氏の3人と接見をしたので、 > その際見聞した事実を報告するものである。 > > > 2002年2月16日 > 弁護士 大 橋 毅 > > > > > 1 平川総務課長補佐との面談 > > 10時40分頃、平川総務課長補佐と面談。要旨次の通りであった。 > (1)R氏は2月14日外部受診した。現在通常の状態である。 > (2)A/J氏は、自損行為をしたが別状はないと聞いている。 > (3)一昨日、R氏の件は次長に対しては報告があった。 > 課長補佐の平川が知らなかっただけである。医療の責任は次長である。 > > > 2 東郷次長との面談 > > (1)10時50分頃次長と面談。受けた説明は要旨次の通りであった。 > > ア 昨日児玉先生、福島瑞穂先生らから電話を受け、 > 仮放免の交渉の申し入れを受けたが、場を持つかどうかも含めて上申中。 > > イ 一昨日よりの経過 > R氏は13日午後2時頃、ボスに会わせろと要求。 > 処遇室で面会中、椅子から崩れて手を床につく。腕が縮こまる状態。 > 医療室に搬入。看護婦が心電図をとった。 > 職員の判断で、外部医院に連れて行く必要ないとして扱った。 > 意識を失ったことはない。 > 翌朝一番に収容所の医師が診察。肉体的に問題なし。過換気症候群の疑い。 > 同日午後外部医院で診察、MRI、血液検査など実施。結果は未だ。 > 精神科の診察はしていない。 > 命に別状はない。 > 13日、センターの医師に連絡は、 > 休日で、ポケットベルで呼んだが連絡がつかなかった。 > ほかに、自損行為に及んだ件があると報告があるが大事に至っていない。 > 十分適切な処置をしている。ベストを尽くしている。 > > (2)当職は、精神疾患に対する適切な対処をしないこと、 > 倒れてから20時間医師の診察を受けていないこと、 > いまだに精神科医の診察を受けていないことは不適切であると主張し、 > 仮放免の交渉の場を設けることを重ねて求めた。 > > > 3 A/J氏、Q氏、R氏との面会 > > (1)3名同時に、午後1時50分頃より3時30分頃まで面会実施。 > ただし、Q氏とA/J氏との二人で面会を開始し、数分後R氏が入室した。 > > (2)Q氏は、途中まで自らの日本語で話し、 > 途中から、当職と同行した通訳人による通訳で話した。 > A/J氏、R氏は通訳人を通じて話した。 > > (3)面会の際の同氏らの供述を、できるだけ逐語で記録した。 > その記録は別紙の通りである。 > > (4)要点のみ要約する。 > > ア R氏は、体調不良のため、 > 1週間に3回、外部病院受診の申請をしたが却下され、 > 体調不良と家族の安否の心配について収容所の上層部に相談するため > 申請したが、13日午後2時これも却下されたことを契機として、 > 倒れ、意識朦朧となった。 > 医務室に医師はおらず、看護婦が睡眠薬らしき薬を飲ませた。 > 以後約30時間の記憶が定かでない。 > > イ A/J氏は、14日午前11頃、 > 収容所備え付けのはさみで、自らの体を傷つけた。 > さらに15日午前3時30分頃、 > 房内でパジャマで首を吊って自殺未遂をした。 > その理由について > 「収容されて7ヶ月くらい。 > 薬飲んでもなおらない。どの医者も同じ薬を出す。 > 1日13個も飲んだら、体が悪くなる。 > 来たときは、アフガニスタンは危なかった。父も捕まった。 > 収容されては何もできない。我慢できない。 > 私は日本が平和な国と思った。日本に来てからもすぐ収容された。 > 私だけじゃなくみんな毎日新しい病気になり、同じ薬を渡される。 > 私は自分の国で命が危なかったから来たのに収容された。 > UNHCRにも何回も電話し手紙も出したが、一回来てくれただけ。 > 人生がいらない。動物のようになった。 > 動物でも1日1回外に出る。犬も散歩する。 > ここは毎日死ぬが、一回だけ死んだ方がよくはないだろうか」 > と述べた。 > > (5)なお、R氏は車椅子を使用していた。 > A/J氏は、話の途中で、頭を机に1回強く打ち付けた。 > またA/J氏の体には、腹に8、額に2、右頬に1、左頬に2の傷があった。 > > > 4 R氏は記憶が定かでないので、 > 彼の供述から一貫した経緯を確認することはできないが、 > 1〜3の聴取内容から、13日から15日午前までの経過を推定すると、 > 以下の通りと思われる。 > > (1)13日以前の1週間 R氏は3回、外部医院受診の申請。収容所医師が却下。 > (2)13日以前の2日間 R氏「偉い人に会いたい」との申請。 > 家族の心配と体調の相談のため > (3)13日午後2時 職員がR氏に「却下、話は職員が聞く」との通告 > R氏興奮して大きな声を出し、意識朦朧となり、倒れる。 > かねてより体調不良のK/A氏、貧血で倒れる。 > Q氏及びイラン人が通訳として付き添い医務室へ。 > 医師はいなかった。 > 職員とQ氏がマッサージ施行。看護婦が心電図検査 > 看護婦が「なんでもないから薬を飲んで」 > 以前外部病院で処方した薬を飲む。 > 30分で手足を縮めて、眠って動かなくなった。 > Q氏自室に戻る。 > A/A氏に交替依頼。入管も了承。 > 4時30分頃 A/A氏自室に戻る。 > R氏児玉弁護士と接見。 > > (4)14日午前10時頃 R氏収容所医師と会う。 > 午前11時 A/J氏自損行為。共用スペース備え付けのはさみで自分に切りつけた。 > A/J氏、医務室に搬送、職員6人で取り押さえた。 > 11時45分 入管の要請でQ氏、K/A氏が医務室へ > A/J氏、二人の説得で落ち着く > 医者がQ氏に投薬について「これでどうでしょう」と相談し > Q氏は「私は医者じゃないからわからない、あなたの責任」と答えた。 > 医者が投薬。 > A/J氏手が縮こまって寝た。二人は自室へ。 > 1時間後? A/J氏目が覚め、自室へ。 > 午後2時頃 R氏外部病院へ > > (5)15日午前3時半 A/J氏自室でパジャマで首吊り、5分後 救助 > > > > 別紙 面会記録 > > > Q氏 > > 何回もお願いした。勉強したいから来た。この中で何の勉強をするか。 > 今まで「シャブ」を知らなかった。いまどんどん聞いている。 > まだ見たことがない。入管と日本政府が私に教えている。悪い人になってしまう。 > > 医者も人のことを全然聞かない。私たちは人間である。動物じゃない。 > 医者でも前はK/Aさん(記録者注:弁護団の依頼者の1人)が > 腎臓が痛いと言った。レントゲンを、睾丸のレントゲンを撮った。 > > 監督さんに「これ間違いだ」と言ったら、「いいから出てなさい」と言った。 > 医者と監督の仕事をしないなら辞めるべきだ。 > 私はアフガニスタンで仕事ができるのになくて生活できなかった。 > ここでも偉い人にお願いした。切れた。何回もお願いした。 > > お父さんの前でも頭をあんなに下げなかった。 > いろいろな国でいろいろ勉強したことがある。 > アフガニスタンの人を馬鹿と思っているのか。 > 昨日A/Jは人生がなかったと言って傷を作った。 > > > (Rが車椅子で入室) > > > Q氏 > > 偉い人と何回も話したいと、申請をした。話ができないと言われた。 > 難しいが無理はない。何で無理というか。彼(記録者注:R氏のこと)も > 頭を何処でぶつけたかわからない。 > そして手足がかたくなって動かない。 > > 彼も人間だ。まだ20歳にもなっていない。勉強したい。 > 明日アフガンに帰ったらどうと思うか。 > > A/Jは偉い人と話した。名前わからない。ちょっと失礼なことを言った。 > 僕も切れた。前は何年かロシアで戦った。私たちは国で血を流した。 > なぜこういうことをするか。 > > 入管の人は、入管に入って、24時間働いて、また酒を飲んで、何もわからない。 > 「すいません私わからない」で終わり。 > > 私はアフガニスタン人 > (記録者注:後出する、入管職員が「戦争をしている国の人だから」と発言した > エピソードのことと思われる。)。 > 今国はムジャヘディンになっちゃった。 > それは私たちのせいですか。 > > 法務大臣が耳に何を入れたかわからない。毎日調べばかり。 > ここで誰か死んだら誰が責任をとるか。 > 入管、日本政府の責任になる。恥ずかしいことになる。 > 私も外で知り合いがいる。外に出たら電話をして世界にわかってもらう。 > 国連で恥ずかしいことになる。日本も世界の中。太陽じゃない。 > ここでも人間が住んでいる。人間として考えて欲しい。 > > 昨日夜私はお願いした。Rは自殺すると言ったので、面倒を見るからと言った。 > 昨日の夜X(転載者註:不明)も何回か自殺しようとした。 > 聞いたら「もうこの人生やだ、タリバン政府と同じだ、毎日殺す。 > 1日で15個薬を飲んでいる。人間は毎日薬を飲んだらおかしい。 > どうしてもしょうがない、薬を飲むしかない。」 > > > (記録者質問:おとといのことを教えて欲しい) > > > Q氏 > > Rは同じブロックだった。 > おとといのことは、私は一人の部屋で、電話をしたいという話をしたかった。 > ブロックの中で大きな声が聞こえた。 > 見たら、Rは倒れていた。ブロックの外の小さい部屋。 > > 担当が手でマッサージをしていた。 > 「どうした」と聞いたら「わからない」という。 > 別の人に聞いた。 > > 「(Rは)朝からボスにお願いしていた。 > 『偉い人に会いたい。家族もわからない、毎日薬を飲んでいる』」。 > ボスは「無理」と答えた。 > > 彼は切れた「何で無理?」。 > K/Aから聞いた。倒れたときK/Aも血圧が下がって倒れた。 > 私が部屋から外に出たときに、倒れたままだった。 > > 私は一緒に医者の部屋に行った。言葉がわかるから。 > もう1人イラン人の人も一緒だった。 > > 部屋は看護婦さんだけだった。 > 私たちマッサージをした。 > 心臓のグラフィックをとった。 > > 看護婦が、「なんでもないから薬を飲んで」と言った。 > 外の病院からもらっていた薬だった。 > > 薬をあげたら、30分でRが寝てしまった。 > 手足を縮めて、動かない。 > > 「あなたいらないからありがとう」と言われて自分は部屋に帰った。 > そしたらA/Aさんに、代わりに見ていて欲しいと頼んだ。 > 入管の担当に頼んで、一緒にいさせてもらった。 > > 《以後通訳を介す》 > > 4時30分頃A/Aが帰ってきたので、 > Rは弁護士さんと面会していると言われた。誰かわからなかった。 > > 昨日は、 > 「Rがなぜ倒れたのかについて、ここの偉い人にRの前で話したい。」と頼んだ。 > そのときは、私はここの偉い人と、5分だけでもいいから話したかった。 > > そのことで担当と話していたら、アラームが鳴った。 > そのとき驚いて部屋に戻ったら、A/Jがいなくて、血が残っていた。 > > いあわせた人に「A/Jさんはどこか」と聞いたら「病院だ」と言った。 > 昼の11時頃だった。 > > 担当もびっくりしたので、「後でRさんのことを話します」と言って去った。 > 11時45分頃入管が私に「A/Jさんの状態が悪いから助けてください」 > 私の部屋のK/Aさんが年上なので、一緒に来てもらった。 > > 私たち二人で医者の部屋に行った。 > そのとき6人がA/Jさんを押さえていた。 > A/Jさんは、自分がきたことがわからないで > 「日本政府は何をするか、なぜ捕まえるか」と言っていた。 > そのとき私とK/AがA/Jさんにお願いして、 > 「少し我慢してください」と言った。 > > そのときA/Jさんは右手が動かない感じだった。 > そのとき医者が二つ薬を渡した、睡眠薬を。 > 医者が私に「これでどうでしょう」と言った。 > > 私は「私は医者じゃないからわからない、あなたの責任」と言った。 > 医者が薬を飲ませた。手が縮こまって寝た。 > 「医者が帰りなさい」というので部屋に帰った。 > > > A/J氏 > > 1時間くらい寝てから、目が覚めたら医者のところだったので > 「部屋に戻りたい」と言って戻った。 > > そして夜3時半まで全然寝なかった。 > この人生はいらない、と思った。 > > みんなが寝てから、首にパジャマをかけ、天井からぶら下がった。 > 5分ほどそのままで、入管の担当が来て、部屋の人もわかって助けた。 > > > Q氏 > > 入管の人が、朝8時まで部屋の隣に待っていた。 > 今朝9時に担当が来てA/Jさん、K/A、私に、「偉い人と話してください」。 > 何かあったときに相談をする部屋に行った。 > > 職員が12人くらいいた。 > その中の1人が、12月に約束した人だった。 > 「1ヶ月したら良くする」と約束したが、なにもなかった。 > > (転載者註: 昨年末にハンストをしていた人たちがいましたが、 > 体調悪化して病院送り、などという事態が > アフガン復興会議に重なると非常に外聞が悪い、ということで、 > 入管のほうから、上記のような口約束をしてハンストを止めさせた、 > ということがありました。その約束のことかも知れません。 > 未確認ですが、、、) > > もうひとりは、私たちに > 「戦争をやっている国の人だから」と言った人だった。 > > そのとき私は、 > 「他の国が攻めて来て戦争をしたのだ。 > 自分たちは国を守るために戦っただけです。 > 他の国が法に反しているのではないですか」と言った。 > > 私は、偉い人に > 「ここの入管の他の人と話したくない。一番上の人とだけ話したい。 > ここも刑務所、彼らのところも刑務所。 > フリーゾーンのこともわからない。 > 戦争をわからないのに、戦争のことを話す。 > わからない人は話をしない方が一番いい。自分も悲しくなる。」と言った。 > > > 自分はいらいらして、 > 今度偉い人と1対1で話したいと言って、1人で部屋に戻してもらった。 > 頭に来た。 > > 入管の目的もみんなの頭をおかしくすることではないか。 > 悲しくさせて、自殺をすると、ビデオカメラをもってきてビデオを撮る。 > > > R氏 > > (記録者質問:医者に会う申請をしていたか) > > 1週間前から3回手続をした。 > 医者(記録者注:収容所の医師のこと)に頼んだ。 > > 「病気です」と言ったが「病気じゃない」と言われた。 > しょうがないから「我慢できません、病院もういい」と言った。 > > 2日前から「偉い人に自分の家族の相談をしたい」と申請した。 > 担当が来て、「私に言え」というが「私は話したくない」と言った。 > 「どうしても上の人に会うことができない」と言われた。 > > 頭がおかしくなって扉に頭を打ち付けてわからなくなって倒れた。 > 目が見えず、手が開いたまま動かず、足も動かなかった。 > 偉い人が来た。ビデオカメラをもって撮っていた。 > そのことはQが後で教えてくれた。 > > 私がわからないうちに医者に連れていった。 > 意識がなかったのでどこだかわからない。 > > Qと一緒にボスに話した > 「月曜日に代わらなければ自殺する。その責任はあなたにある」。 > ボスは「私は何もできない」と言う。 > 「自殺しても関係ない」という。 > > Qさんが「あなたが関係がないなら誰の責任か」 > 「待っていて」。 > > 私は「我慢できない。月曜日まで待ちます。その後自分でやります」と言った。 > 頭もおかしくなったのでレントゲンを撮った。 > レントゲン写真を自分で見た意図言ったが、見せなかった。 > > 今、足も頭も痛いので、足が治ったら先生とボスに話したい。 > いくら言ってもこちらは変わりません > > > A/J氏 > > 私のこともビデオを撮った > > > R氏 > > そのときは二人の担当者が手足を、Qさんが胸をマッサージ。 > この人生はいらない > 今度は自分が自殺するがその前に入管担当を殺したい。 > 入管職員が「私たちは力をもっている」と言う。 > 私は、「それなら私は悪いことをしたんですね。 > 日本に難民申請をしたんだから。」と言った。 > > > A/J氏 > > 今日担当からどうして自殺すると聞かれた > > 「収容されて7ヶ月くらい。 > 薬飲んでもなおらない。どの医者も同じ薬を出す。 > 1日13個も飲んだら、体が悪くなる。 > > 来たときは、アフガニスタンは危なかった。父も捕まった。 > 収容されては何もできない。我慢できない。 > > 私は日本が平和な国と思った。日本に来てからもすぐ収容された。 > 私だけじゃなくみんな毎日新しい病気になり、同じ薬を渡される。 > > 私は自分の国で命が危なかったから来たのに収容された。 > UNHCRにも何回も電話し手紙も出したが、一回来てくれただけ。 > > 人生がいらない。動物のようになった。 > 動物でも1日1回外に出る。犬も散歩する。 > ここは毎日死ぬが、一回だけ死んだ方がよくはないだろうか」 > > > Q氏 > > UNに言って欲しい。何も助けてくれなかった。これからも何もしないだろう。 > 何かあったら責任はUNにある。誰か死んだらUNに責任がある。 > ひとりアフガニスタン人が死んだら1人ここの日本人も死ぬ。 > 私たちはおもちゃじゃない。 > ロゼーロに何回も電話した。 > > > R氏 > > 入管のやることとタリバンのやることは同じだ。 > > (記録者質問。以下同:おととい児玉にあったことは覚えているか) > > 面会が終わってから3つの注射をした。 > (自分で覚えているか)わからない。針の後がある。両腕にある。 > (いつ気がついたか)テープがあって、意識が戻ってから、テープを取った。 > (いつか)おととい > (何時か)覚えていない。 > (部屋で意識が戻ったのか)自分の部屋。入管の担当がいた。 > 昨日の朝、気がついた。 > > (昨日の朝までのことを覚えていないのか)覚えていない > (昨日の朝のことで覚えているのはどんなことか)昨日ずっと寝ていた。 > > > Q氏 > > 昨日はRはずっと寝ていた。 > 1時頃外の病院にあった。 > 朝はセンターの医者にあった。 > 何も診ないで「外の病院に出してください」とだけ書いた。 > > 児玉先生からのFAXを見せられたのでそれを破いた。 > 「FAXいらない外に出たい。今日必ず行きたい。できなかったらやります。」と > 言った。 > 「順番」と言われたが、「病気に順番はない。死んだら何の順番ですか」と言った。 > > > R氏 > > 昨日朝私テープがあってはがした。夜まで寝た。 > センターの医者が私を診て1時5分に・・・ > (記録者注:記憶が混乱してわからない様子) > > (記録者質問:センターの医者にあったことは覚えているか) > 覚えていない。頭が回る。 > > 《ここで記録者は、A/J氏の傷を素描した。 > A/J氏は腹に8、額に2、右頬に1、左頬に2の傷があった。 > スケッチを添付する。 > 同日午前中にA/J氏と面会した通訳人によると、 > A/J氏は朝は首が赤く腫れていたとのことである。》 > > > A/J氏 > > (記録者質問。以下同:はさみで切ったのか) > そう。入管の担当と奪い合って、指を切った。 > > (はさみは置いてあるのか) > 髪を切るために置いてある。持って行けないようにチェーンで繋がっている。 > はさみを奪うために6人が来た。そうでなければもっとひどくした。 > 待っている状態が一番ひどい。 > > (切ってから、センターの医者に行ったか)はい > (外の医者には)7ヶ月の間1回も外の病院に行っていない。 > > > R氏 > (足は)動かない。 > (トイレは)Qが助ける。 > (手は)ときどき動かない感じになる > (足はあげることは出来るか)少しずつはできる > (足は叩くといたいか)わかる > > > Q氏 > (今の部屋は)A/J、D、Yが一緒。A/AとK/A、R、Qが一緒。Rは昨日の夜から一緒。 > ===================原文ここまで================================
おおえまさのりさんから届いた文章をご紹介いたします。(事務局) 八ヶ岳日誌2002年2月号 おおえまさのり <中道――ジョージ・ブッシュから遠く> 人類というものの愚かさを見せつけられる日々がつづいている。アメリカはアフガ ニスタンからさらにフィリッピン、イラク、イラン、ソマリア、北朝鮮などへと戦域 を拡大しつつある。 ジョージ・ブッシュの2002年年頭の一般教書は「アメリカは今戦時下にある」 という言文ではじまり、世界最大のテロ国家アメリカ(ノーム・チョムスキー『9・ 11』)の、戦争宣言書となっている。世界(アメリカが認めない世界)を滅び尽く すまで戦うと。 アメリカは狂ってしまったか、アメリカは死んだかと思わせられる。「自由失う 『自由の国』」(朝日新聞「アメリカ・アメリカ」取材班)「理性の声聞かぬアメリ カ」(ジョン・ダワー)という言葉が聞かれるが、アメリカではどうなのであろうか。 どう受け取られているのだろうか。 アメリカは滅ぼされる側に立って考えたことはあるのだろうか。ネイティブ・アメ リカンの側に立って、ベトナムの、パレスチナの、アフガニスタンの側に立って。そ うあるとはとても思われない。 滅ぼされる側の人々の声の中には、ネイティブ・アメリカンの、ベトナムの、パレ スチナの、アフガニスタンの、あるいはまた中国によって滅ぼされつつあるチベット の、それらの民の声の中には、敵味方、体制反体制を超えて、わたしたちのスピリッ ト(精神や霊性)に働きかけてくる多くのものがある。アメリカ東北部に住むネイティ ブ・アメリカンのシックス・ネイション(六ヶ国連合)には、アーノルド・ミンデル (『紛争の心理学』)の提唱する深層民主主義が息づいているのを見ることができる。 一児の赤子の中にさえ、ジョージ・ブッシュにない、それがある――すべてを超えた いのちの輝きがある、すべての人を救済する笑みがある。人は赤子によって救われる ことができる。日々鬼化してゆくジョージ・ブッシュによってではない。 だが、鬼もまた神となるから、やっかいである。 「夕陽妄語」(朝日新聞)で加藤周一が書いていた、「神はどこにいるのか」と。 ベルトルト・ブレヒトの『ガリレイの生涯』にこうある。 友人(サグレード)「そして神は?神はどこにいるのだ?」 ガリレイ「われわれのなかに。もしそうでなければ、どこにもいない!」 この言辞を紹介した後、9・11の同時多発テロ事件に象徴的に現れてきた神をめ ぐる革命状況を踏まえつつ、彼はこう結んでいる。 諸家の議論を見わたしたところ、少なくともその大部分は、今もガリレイの「われ われの中に」=不可知論を大きく超えていないようである。世界を知るためには科学、 世界を変えるためには信仰なのかもしれない……。 ガリレイの言説、「われわれのなかに。もしそうでなければ、どこにもいない!」 は、「神はわたしたちの心理的事象にすぎない」ということではない。神は「われわ れのなかにいる」ということである。神を感得するわたしがいて、その故に神はいる のである、不可知論ではなく、確たるものとして。それがリアリティの本質である。 リアリティは関与者との関係の中に現れ出てくるものでしかないからである。 人は神を見て生きている存在であり、生きてゆくために神を必要としている。 鬼もまた神である。鬼神である。 そして鬼神もまた「われわれのなかに」である。ジョージ・ブッシュのそれのよう に。 「われわれのなかに」いる以外に、いる場所はない、神もまた。 今わたしたちの見るべきは、神の実在ではなく、神の実相である。 実在としての神はエホバであり、父なる神であり、アッラーあり、仏陀あり……と なる。 そしてその実在を巡って、互いに血で血を洗いながら、争い合うことになる。 だがその実相となれば、アブラハムの、キリストの、ムハンマドの、それぞれの見 ているものは共に、唯一の「一」の神である。「一」のそこには、見られる客体も見 る主体も存在しえない。神もわたしもいない。いることなど適わない。神の実相とは、 神もわたしもない非実体的な「一」である。(イブンアラビー「存在一性論」) 仏陀のそこにあるものもまた、神や存在の「実体の空(非実体性、縁起性、関係生 起性)」である。 仏教ではそうした存在の見方を、「中観」、「中論」あるいは「中道」として見て きた。「神やこの存在世界の本性はいかなる実体もなく、空である」という認知であ り、その論、その道である。 1959年、中国によってチベットを追われたダライ・ラマ14世は、中道という ところから、世界に向かって、己を超えて、呼びかけようとしている。 中道とは、仏教において、二つのものの対立を離れていること、断(そうでない) と常(そうである)という見方、有と無という見方を離れていることであり、また存 在の空(非実体性)を論じた『中論』(ナーガルジュナ)においては、存在の空性性、 縁起性(関係生起性)、仮名性(非実体性)をいう。 2001年10月24日、欧州議会で行われたダライ・ラマ14世のスピーチを見 てみよう。 人間社会が歴史上重大な危機に瀕していることは明らかであります。今日の世界に おいて、人間性は一つであると認める必要があります。 過去においては、地域社会はお互いを基本的に別々のものだと考えることができま した。しかし現在は、アメリカで最近起こった悲劇的な出来事から分かるように、あ る地域で起こる出来事は何であろうと他の多くの地域に次第に影響を与えて行きます。 世界はますます相互依存するようになってきています。この新しい相互依存という 意味では、自己の利益は他人の利益を考えることにあるのは明らかです。普遍的な責 任という感覚を養い育てていかなければ、我々の近い将来は危ぶまれます。 我々の前に新たに出現した地球的規模の共同体という意味において、戦争を含むあ らゆる形態の暴力は紛争解決の手段としては全く不適当なのです。暴力と戦争は常に 人間の歴史の一部であり、かつては勝者も敗者もいました。 しかし、現在もし新たに地球的規模で衝突が起こったとすれば、勝者は全く存在し ないでしょう。それゆえに我々は世界に対し、長期的に見て核兵器や国軍のない世界 を求める勇気とビジョンを持つべきです。 特にアメリカ合衆国での恐ろしい攻撃に照らして考えれば、国際社会は誠実に努力 しその恐ろしいショッキングな経験を生かして、地球的規模の責任感―つまり対話の 文化と非暴力を紛争解決に使用する―そこへ発展させるべきなのです。 私はチベット解放という闘いを非暴力という道に導き、そして和解と妥協の精神で 中国と交渉をしながら、双方に好ましいチベット問題の解決方法に一貫して狙いを定 めてきました。 この精神を持って、1988年ストラスブールで開催されたこの同じ議会で、私は交渉 ――つまり我々がチベット問題解決の基礎として貢献することを望んでいるもの―― を公に提案しました。 交渉の枠組みに対する私の考えを披露する機会として欧州議会を私が慎重に選んだ のは、本当の連合とは全ての関係者が満足の行く利益を得た時に自然と発生するもの だという点を強調するためです。欧州連合はこの点において明らかに勇気を与えてく れる例です。 一方で、信頼や利益が欠けている場合、そして統治の主要な手段として力が用いら れる場合は、どんな国や地域社会も2つあるいはそれ以上の存在に分かれてしまう可 能性があります。 後に「中道的アプローチ(Middle Way Approach)」または「ストラスブール提案」 として知られるようになった私の提案は、チベットが中華人民共和国の枠組みの中で 真の自治を享受することを描いています。 それは、十七ヵ条協定で50年前に私たちに強いられた紙上の自治ではなく、自分の 子供たちの教育や宗教に関すること、文化面の諸事、チベットの繊細で貴重な環境の 保護、地方経済を含む自分たちの国内問題についてチベット人が完全に責任をもつこ とのできる本当の自治、真に自治権のあるチベットです。中国政府は外交と防衛面で の管理を担い続けます。 この解決策は、中国の国際イメージを大いに高め、中国政府の二つの最優先課題で ある安定と統一に貢献するのと同時に、チベット人にとっては、基本的人権と自分た ちの文明を守りチベット高原の繊細な環境を保護する自由を保障するものとなるでしょ う。 私たちの自由闘争の手段として暴力を行使することを私は断固として拒否する一方、 私たちには確かにあらゆる政治的選択を探求する権利があります。私は自由と民主主 義の堅固な信奉者ですから、亡命中のチベット人たちに民主主義的手順を辿るように 奨励してきました。 今日、チベット難民たちは、民主主義の3本柱である立法・司法・行政のすべて確 立した数少ない亡命コミュニティーのひとつかもしれません。今年、私たちはチベッ ト議会の主席大臣を民衆による投票で選出し、民主主義化への過程で新たな長足の進 歩を遂げました。選挙によって選出された主席大臣と、選挙によって選ばれた議会は、 人々の合法的代表者としてチベットの諸事を運営する責任を担うことになるでしょう。 しかしながら、解決策が見つかるまで、中国指導部にチベット問題を持ちかけ続け ることと、チベットの人々の自由なスポークスマンとして行動することが、私の600 万人のチベット人に対する道義的責任であると考えています。 何年にもわたる私の提案に対し中国政府から何の積極的な反応がないために、国際 社会のメンバーに訴える以外に私には選択肢が残されておりません。首尾一貫した協 調的な一層の国際努力のみが、北京にチベットに対する政策を変えるよう説得できる でしょう。 中国からの最初の反応は否定的なものである可能性が高いですが、国際的関心と支 持の表明は、チベット問題の平和的解決を助ける環境づくりに不可欠であると強く信 じています。 私のほうは、対話という方法を固守し続けています。対話そしてチベットの現実を 誠意と明晰さをもって見つめる意志は、中華人民共和国の安定と統一に貢献し、かつ チベット人が自由・平和・尊厳のなかで生きていく権利を保障する、双方にとって有 益な解決策へと私たちを導いてくれると私は固く信じております。 チベット内の状況を見ると、ますます強化される弾圧、引き続く環境破壊、そして まさに今行われているチベットの文化とアイデンティティーの組織的破壊に直面し、 ほとんど絶望的なように思われます。 しかし、私は中国にいかに大きな権力があったとしても、中国はそれでも世界の一 部だと信じています。今日の世界の流れは、開放、自由、民主主義、人権の尊重へと 向かっています。 遅かれ早かれ、中国もその世界の流れに従わなくてはならないでしょうし、長期的 には、中国が真実・正義・自由から逃れ得ることは決してないでしょう。欧州議会が 一貫し道義に基づいた方法で中国と関わりをもつことは、中国ですでに起こっている 変化の過程を促進することになるでしょう。チベット問題は中国で起きていることと 密接な繋がりがあるので、希望ももつ理由と根拠があると信じています。 わたしたちはこの中道的アプローチの問題を、ジョージ・ブッシュの一般教書に比 して、考えみる必要がある。 それはチベットと中国双方の、いや国際社会にとっての、人類と世界の止揚を夢見 るものであり、その実現へのステップを記すものであるといえよう。チベットを追わ れて40年、その果てに、憎しみへとではなく、敵見方の見解を超えたところに至り、 そこからチベットと中国に、人類と世界に語りかけ、人類の自覚に基づく、真に民主 的な中道の道において、世界を救いとろうと努めている。 暴力の連鎖の愚かさを見るにつけ、わたしたちは第一次、第二次世界大戦から、何 も学んでこなかったのであろうか。人類は歴史から学ぶことはできないのだろうか。 核や環境問題から人類は何を学んできたのだろうか。あるいは神から。 わたしたちは、ジョージ・ブッシュのいう「敵か味方か」という愚かな二元論に陥 らない、ダライ・ラマの提唱するところの「中道」とういものの見方を、深く再考察 してみる必要がある。 それ(中道)は、今日の地球環境の問題が提起してきた、他のものによってわたし が支えられているという「関係生起(縁起)」性を透徹する。個は他によって支えら れ(存在を与えられ)、かつそれぞれの個は互いに全世界を宿し合っている、と。そ して世界(存在)が関係生起であるのは、そうありうるのは、それぞれの存在が究極 的な「永遠不滅の実体」を持っていないからである、という。神のところで見たよう に、世界(神やこの存在世界)に永遠不滅の実体はないという見解である。 それはまた、世界は関係であるからには、世界には究極的な実体なく、世界はこう であるという「常見」とそうではないとう「断見」を超えているという見解でもある。 世界はわたしたちがどこに立っているかという、それぞれの関わっている場によって、 異なる見え方をする。敵も味方も人がどこに立つかによって、異なってくる。関わり の中でリアリティは現れてくる他ないからである。たとえば時間。時間はその人がど こに立っているかによって、異なったものとして体験される。極端な話、光速で移動 するものには時間も空間も質量も存在しないものとして体験される。そのそれぞれの 時間が正しく、時間は有るといっても、無いといっても正しい。ブッシュのいう「あ れかこれか」ではなく、あれでもこれでもあり、あれでもこれでもない。 ではリアリティ(真実)はなにもないのかというと、そうではない。リアリティは 関係の中にあるということである。関係がリアリティであると。 神もまた関係の中に、ガリレイがいうように、わたしの中にということになる。わ たしなくして神は存在しない。わたしとの関係の中で神は確として存在する。それぞ れのわたしの中にそれぞれの(多様な)神があり、かつそれは「一」なのである。そ してそれは「一」の故に、非実体的なリアリティのものなのである。 世界もまたそうしたものとして現れている。関係というリアリティをわたしたちは 生きている。生きていること自体が関係である。関係を生きているわたしがいるとい うことである。 その関係を断ち切ろうとうするのが、ブッシュの二元論的立場である。あれかこれ か、敵か味方かであり、これでないものは殲滅させられる。 中道は関係を生きようとする。関係が存在に他ならないからだ。 そして関係が世界であることは、哲学や認識論のみならず、環境問題の中から、人 類は多くを学んできたはずである。関係を断ち切れば、自ら共々、世界は滅びると。 ひとり勝ちはあり得ない。 /////////////////////////////////////////////////////////////////////////// おおえまさのりさんの紹介(99/7/28 山梨日日新聞より) /////////////////////////////////////////////////////////////////////////// 八ヶ岳の麓から新世紀凝視---「宇宙の見る夢」を出版した、おおえまさのり氏 おおえまさのり氏のEメールのアドレスは「ichienso(いちえんそう)」から始ま る。小淵沢在住。時々「いちえんそう」のあて名で郵便物も届く。郵便局から「民宿・ いちえん荘」ですかと間違われたことがあるそうだが、実は仏教用語の「一円相」か らとった真理を表す言葉である。 「わたしはだれで、どこから来て、どこへ行こうとしているのか。そして、人と地 球のとるべき形とは何か──」と問い掛ける。 阿波の文楽人形の家に生まれ、伝統世界に反発しながら1960年にニューヨークで映 画製作に携わった。その後、インドに渡りチベット仏教いに出会う。 八ヶ岳の麓(ふもと)に住んで15年になる。ここで取り組む「自然農」がキーワー ド。「農薬を使わず肥料もやらずに米や野菜を作る。農耕のひとつというより命とは 何かを学ぶこと。畑の草々は土の力で分解され次の生命になっていく。生命の循環を 語っている」 おおえ氏は、自分を開いて生きていける空間を求めて八王子から移り住んだ。若い ころは東京、ニューヨークなど都会の方が開かれてる感じがしていたが、自己の変遷 のなかで、自然に囲まれている方が自分を開いていけることが分かったという。 「ここは日本の山あいが持つ閉ざされた空間というより、開かれた時間空間。自分 の精神が心地よさを感じる地だ」と、いま在る八ヶ岳の麓の暗示的な地平を強調する。 おおえ・まさのり氏 本名・大江正典。1942年、徳島県生まれ。主な訳書に「チベッ ト死者の書」「ミラレパ」、著書に「スピリットの森から」「チベット死者の書99の 謎」「木偶の舞う夢」。映像作品に記録映画「・・ead Game」「リンガラジャ」など。 ///////////////////////////////////////////////////////////////////////////
「広島の火」を懐炉にアメリカ大陸横断ピースウォーク (シアトルからNYの貿易センター跡地まで、1月15日〜5月12日) 初日参加報告 (長文注意) 自由民権運動のマーチン・ルーサー・キング牧師の誕生日にあたる1月15日。この 日シアトルは朝からどんよりした空模様で今にも雨が降りそうでした。ノリ・ハドル さん、きくちゆみさん一家とともに、港からフェリーに乗り郊外のベインブリッジ島 まで30分。フェリーから降りて車で10分、シアトル市の名の由来にもなっている先住 民族の聖地チーフ・シアトル墓地に着いたとき、大陸横断ピースウォークの出発式は 始まっていました。地元テレビの取材チームがカメラを回していましたが、マスコミ の扱いは静かなものでした。 会場は墓地の一角、20m四方のなだらかな傾斜面、枯れた芝生が生えている。そこ に100人余りの人が大きな輪を作っていました。これは世界中の先住民族の儀式や会 合でよく見かけるスタイルです。遅れての参加なのでなるべく邪魔にならないように そっと輪に加わると、髪の毛を頭の後ろで束ねた恰幅のいい男性が「暴力は暴力しか 生み出さないことを忘れてはいけない」とあいさつをしていました。それがメンバー の代表の一人トム・ダストウさんでした。 トム・ダストウさんはアメリカ先住民のリーダー的存在。1978年から合衆国在住の 妙法寺尼僧・安田純さんとともに、東京から広島、長崎へのピースウォーク(2001 年10月13日〜12月31日、<http://www.otsukimi.net/walk/> )と今回の大陸横断ピー スウォーク(2002年1月15日〜5月12日、<http://www.dharmawalk.org/> )の実現 に向けての企画で中心的役割を演じた人物です。 さて、日本やアメリカ、そして世界中に平和をもたらす祈りを捧げるはずのそのピー スウォークは9月11日の事件以降アメリカでの実現が危ぶまれていました。特に、原 爆の残り火「広島の火」(福岡県星野村が管理しているものを分けてもらった)の輸 送には幾多の困難が付きまとったとのこと。幸い、大勢の善意とたくさんの小さな奇 跡のおかげで今日の実現の日を迎えました。そう安田純さんは語りました。(メキシ コ上陸からアメリカへの輸送秘話は、島田啓介さんのメール便りで読めます。 <jkeisuke@f4.dion.ne.jp> ) トムさんと純さんの発言の後、埼玉県飯能市在住の音楽家、黒坂黒太郎さんが紹介 されました。黒坂さんは広島で被爆したエノキで作った木製の笛「コカリナ」を演奏 し、その優しい音色で出発を祝福しました。(被爆エノキのコカリナについて は<http://www.kocarina.net/hibaku.html> ) 5分ほどの準備の後、10時40分頃ピースウォークが始まりました。太鼓を叩きなが ら「ナンミョーホーレンゲーキョー」を唱えながら歩く日本山妙法寺の僧侶6人を先 頭に総勢70人。参加届けなしの飛び入り参加は20人くらいでした。ノリ・ハドルさん と私も少々遅れて歩き始めました。子ども連れのきくちゆみさん一家は10マイル(16 キロ)余りの行程の途中で合流する手筈を整えました。 コースは郊外の道、交通量は少なく緑の多いところなので歩きやすいというのが第 一印象。最初は最後列から150メートルほど遅れていましたが、日本で週末にやって いるピースウォークより少し速い程度でしたから、5分くらいで難なく追いつきまし た。曇り気味で気温も低めでしたが、体はだんだん暖まってきました。列の後ろのほ うには歩くのが苦手そうな当日参加者6〜7人がかたまりをつくっていました。とて も気持ちのいい人たちで「当初は出発式だけ出るつもりだったけれど、平和を求める ポジティブできれいなエネルギーに誘われて急遽歩くことにした」と口々に言ってい ました。ただ、靴も歩くのには適したものではないので、30分(2キロ)くらい歩く と少しずつテンポの速まってきた先頭グループからは大きく遅れ始めました。その後 ほどなく1人、2人と抜けていきました。 その中に、フェリーで知り合ったリズさんとジュリーさんもいました。二人はとて も優しい中年の修道女。リズの誕生日に何か気持ちのよいことがしたくなって、この ピースウォークに参加することにしたそうです。ゆみさんが子ども連れで平和活動を 続けていることに感動していましたが、別れ際に急に「これをゆみに渡してほしい。 おばあちゃんの形見なの」と言って、首からネックレスをはずしたのです。「でもそ んな大事なもの・・・」という私たちにジュリーさんは次のように言いました。「物 は物でしかない。この形見に託されたおばあちゃんの気持ちはしっかり受けとめてい る。おばあちゃんへの私の気持ちはこれがなくても変わらない。今度は、これからゆ みが子ども連れで歩んでいく平和への長い道のり、それを祝福する私の気持ちをこの ネックレスに込めたいの。」 ゆみさんは500メートル先の車の中でまなちゃんの世話をしていました。ネックレス を受け取り感動で涙を押さえきれずに子どもを抱きしめているゆみさんを後に、ノリ さんと私は足早にウォークを続けました。途中で5分のトイレ休憩をした後はテンポ が急に速まりました。夕暮れまでに目的地に着かなければならないからです。 このピースウォークには "Indymedia"の記者アンディさんと"Yes Magazine"のカメ ラマン・リンダさんが参加取材していました。どちらもオルターナティブ系としては 定評のあるメディアです。上っ面をなでるような取材ではなくて、自分自身も体験し て内側から臨場感あるレポートを送りたい。また一般のメディアではまじめに取り上 げられることがないから、全米規模、世界規模のネットワークがある自分たちがやら なければいけないんだと、使命感に燃えています。ただ、速いテンポに遅れないよう にしながらの取材はかなり大変そうでした。アンディさんはフィリピン系のアメリカ 人、ペルー人の血もちょっと入っているそうですが、私はてっきり日本人かと思い、 目があったとき日本語で話しかけてしまいました。何年くらいこの仕事をやっている のかと聞くと、数年間はコンピュータ・プログラムの仕事をしていたけれど、世の中 の動き、マスコミ報道に納得できず、半年前に記者になったばかりとのこと。その直 後9.11事件が起こったので、研修もそこそこに第一線に放り出されたようです。その ほか、彼の身の上について話を聞いていましたが、「これじゃ、どっちがジャーナリ ストかわからないね」と大笑いになり、私がインタビューを受けることになりました。 特に平和について日本人がどんなことを考えているのかと尋ねられたので次のように 答えました。 「主力メディアで報道される偏った情報を信じている多くの人と、インターネット を中心にそれ以外の情報を能動的に入手している人の間にかなり意識の差がある。で も、アフガン攻撃を避けられなかったと思い込まされている人でも、平和を強く求め る心を秘めた人が多くいるので、流れがこれから変わっていく可能性はある。日本は 平和憲法を持っているにもかかわらず、政府は米国への軍事支援を許す法律まで成立 させ、今後に大きな問題を残している。」ここまで話したところで、憲法第9条が41ヶ 国語でプリントされたスカーフを彼にプレゼントしました。これは「憲法9条を広め る会」調布が企画販売しているもので、暮れのうちに大量に仕入れ、アメリカにはお みやげ用に20枚ほど持っていきました。数種類のデザイン・色があるので彼が好きそ うなものを見繕って渡すと感激していました。(アンディさんによるレポートは <http://portland.indymedia.org:8081/> で読むことができます) こうした会話の間、左側には30分ほど標高600〜700メートルの山々を遠くに望む内 海が広がっていました。時折、雲間から薄日が覗くだけで、空気は冷たいのですが、 体内には心地よく淡い疲労感と温もりが広がっていきました。そうこうするうちに、 ノリさんから背の高い30歳前後の日本人男性を紹介されました。彼は埼玉県在住の藤 根さん。糸から布地染色、洋服完成品までをトータルにデザインする、服飾デザイナー だそうですが、今回は5月12日までの全行程を歩き抜くためにやってきたとのこと。 自分は平和運動といっても何ができるかもわからない。流暢に人を説得するアピール 力もない。でも体を張って平和の願いを表現し、最後まで歩き通すことはできると思 う。それを今のアメリカでやることに何か意義があるかもしれないと思って参加を決 意した。藤根さんはこういった内容を言葉数少なくぽつりぽつりと話してくれました。 もちろん、憲法第9条スカーフを彼にもプレゼントしました。 さて、40代、50代の参加者が目立つ中、中高生6人が平均年齢をぐっと押し下げて くれましたが、アニーさん(15)はハワイの平和イベントで安田純さんと出会い、そ の穏やかで揺るぎない姿勢に感動し、このウォークに参加しようと決心したそうです。 それから2週間あまりの間に、両親と学校を説得し、4ヶ月の行程すべてを歩くことを 許されたのでした。「このウォークを歩ききった時、知識だけでなく人間的に大きく なっていると、私も家族も学校の先生も確信しています。お母さんも本当はいっしょ に歩きたかったと、残念がっているくらいです。」理解のある周囲に見守られて、高 校生にしてこんな経験ができるなんて幸せだなあと思いました。彼女はこの4ヶ月の かけがえのない体験を一生の糧にすることでしょう。(アニーさんの記事は <http://starbulletin.com/2002/01/12/features/story1.html> を参照) 12時50分、ベインブリッジ島の軍人リクルートセンターの前に着き、参加者50名全 員で輪が作られました。そこで平和の祈りが捧げられた後、初日ウォークのコーディ ネーター・ジェリーさんから、わずか2時間あまりで10キロ近く歩いてきたことが告 げられました。そして、今日の参加者の自己紹介と抱負がアンディさんによって録音 されました。(<http://sf.indymedia.org/uploads/1stdayintention.ram>で盛り上 がっているその場の雰囲気を音として感じ取ってください)そして何という皮肉でしょ う。軍人をリクルートするその建物のラウンジで平和を願うウォークの参加者が休憩 と食事の場を提供してもらったのです。おにぎりや野菜・くだものを食べながら、い ろいろな人としばしリラックスして歓談しました。全員にしっかりした一体感がある ので、その場の雰囲気は疲れを癒してくれる不思議な力を持っているようでした。 食事が終わり外に出てから、"Yes Magazine"のカメラマン・リンダさんが全員の集 合写真を何枚も撮った後、1時30分ウォーク再開。アンディさんとリンダさんはしば らくの間、相互にインタビューをし合っていました。そうこうするうちに先頭の僧侶 集団に追いついてしまった私は暇そうに見えたのでしょうか、突然、太鼓を渡され、 なぜか太鼓を叩き「ナンミョーホーレンゲーキョー」を唱えながら歩く羽目になって しまいました。これがなかなか難しいのです。太鼓だけ、あるいはお経だけなら、比 較的楽にできるのですが、両方をタイミング良く歩くテンポに合わせられるようにな るまでには15分以上かかりました。しかも痛み始めた足で午前以上のペースを保ちな がら歩かなければなりません。周りからも歩くのが辛いという不満の声がちらほら聞 こえてきました。 また、途中、けたたましい車の警笛や「パールハーバーを忘れられると思うのか」 とか「こんな時に平和なんて卑怯なまねができるか」などという周りからの罵声に悩 まされることもありました。かと思うと、逆に「平和の行進か。がんばれよな。」と 応援してくれる人たちもいました。プラスの反応とマイナスの反応が2割ずつ、残り の6割は無関心というのが私の印象です。中には卵を投げつけてきた人もいましたが、 誰にもあたりませんでした。概して予想したほどの妨害はなく、平穏のうちに歩き進 むことができました。 ゆみさんがまなちゃんを背負って合流してから30分ほど経った3時頃、ある軍事施 設の前で10分の休憩が入りました。そこで、リンダさんにワインカラーの9条スカー フを見せて「この色が好きじゃないですか」と話しかけました。「私の好みの色がな ぜわかったの」という彼女の質問には直接答えずに、平和憲法の話をして、スカーフ をプレゼントすると、すごく感激され、抱きつかれてしまいました。ただ、テロ対策 特別措置法について話すと、表情を曇らせて「違憲裁判は起こらないの?」と問い正 してきました。「違憲問題について議論する動きは各地で広がりを見せているけれど も、まだ違憲裁判を起こすところまでは至っていない。まだ準備段階だ。」と答える と「絶対にがんばってほしい。私もこんなにすばらしい憲法を世界にアピールする手 伝いがしたい。」と励まされました。(その間、私は気付かなかったのですが、懐炉 に入った広島の火の温もりを感じてもらおうと、懐炉が何人もの参加者に手渡された そうです。)リンダさんは"Yes Magazine"のカメラマン・記者を務めるだけでなく、 フリーライターとして取材・執筆活動も行っています。最近出たばかりの "Global Uprising: Stories from a New Generation of Activists." はあまりに評判になり、 たった3ヶ月で第2版が出されることになったそうです。世界中の平和・人権に関する 活動家のインタビュー記録をまとめたノンフィクションですが、フィクションより心 を揺さぶる内容だと言われています。(詳しくは<www.globaluprising.net>を参照) 10分の休憩の後のウォークはきついものでした。人によっては強行軍そのものと感 じて、「足の痛みを堪えながらなぜこんなに速く歩かなければいけないのか」と不平 を漏らす人が後ろには何人もいたとアンディーさんがあとで教えてくれました。ちょ うど同じ頃、私は最前列に近いところでお坊さんといっしょに相変わらず太鼓を叩き ながら「ナンミョーホーレンゲーキョー」とやっていました。腕は疲れ、背中のリュッ クは肩にくい込み、足は靴擦れ。人と話す余裕はまったくない。それでも足は惰性で 前に出ていくし、「ナンミョーホーレンゲーキョー」も体のどこからか出てくる。周 りの世界は遠ざかり瞑想状態へどんどん入っていく。そしてお坊さんたちとの一体感 を強く感じ始めました。ところがその次の瞬間、今度は逆に一種の違和感を感じまし た。急に自分の姿を外から眺めてしまい、この先頭集団が周りから切り離された異様 な空間に感じられたのです。さきほどまであった後続集団との一体感も薄れていたし、 今朝歩き始めたときに感じなかった仏教色のあまりの強さも気になりました。一歩一 歩を踏みしめながら、意識を地球に向け、自分の内面と地球とを一体化させる「歩く 瞑想」をする余裕がまったく失せているのも残念でした。 空が少しずつ暗くなってきました。排気ガスがひどく気になるほど交通量が多くな りました。道の先を見ると、警備員が何人もいる物々しいゲートが見えました。近づ くとそこが、米国全体が保有する核弾頭の何分の一かが配備されているバンガー海軍 潜水艦基地の入り口でした。一同とても重々しい気持ちになりました。事前に連絡し てあったことを警備員に告げ、ゲート脇に集まって祈りを捧げる許可をもらい、基地 に向かって皆で平和の願いを送り込みました。もちろん先頭に立っているのは相変わ らず日本山妙法寺のお坊さんがたでしたが、今度は十字架を切って祈りを捧げる人、 ただ手を合わせて黙祷する人、何かの言葉を唱えている人と、形はさまざまでした。 祈りは10分くらい続いたでしょうか。形はバラバラに見えるのに、平和を祈る気持ち で完全に一体化した、とても穏やかで力強いエネルギーが基地内に流れ込んでいくの が感じられました。それを見て、恥ずかしそうに逃げ去るような車があるかと思えば、 スピードを落として興味深そうにゆっくり通り過ぎて行く車もありましたが、罵声に 悩まされることはありませんでした。 祈りが終わると住宅街を抜けて今日最後の半マイル。夕暮れぎりぎりで、今日の目 的地の「非暴力行動のためのグラウンド・ゼロ・センター」(Ground Zero Center for Nonviolent Action)に着きました。最近、「グラウンド・ゼロ」という言葉 は9.11で崩れ落ちたワールド・トレード・センター跡地を指すものとしてもっぱら使 われますが、もともとは核爆弾で焼け野原になってしまったという、もっと恐ろしい 場所を指すことばでした。冷戦時代、バンガー海軍潜水艦基地に配備された核ミサイ ルはソ連の数百カ所の軍事基地や大都市に向けられていました。また、ソ連側の数千 に及ぶミサイルの多くはこの地に照準を合わせてあったとされます。「非暴力行動の ためのグラウンド・ゼロ・センター」は1977年、バンガー海軍潜水艦基地に隣接した 4エーカーの土地を買い取り設立され、全ての核爆弾の廃止と環境保護、究極の非暴 力を実現することを目的に、具体的なアクションや広報啓蒙活動を続けています。 (詳しくは <http://www.gzcenter.org/> を参照) 近年、米国とロシアの関係は改善されたと言われていますが、それでも相互に照準 を合わせていることを否定できないのが現状です。また、それぞれ標的の数が増えて 米国とロシア以外の国々へとシフトしているとも言われます。さらに、9.11事件以降 暴力を不可避のものとして容認する風潮が強まっているのは周知の通りです。このよ うな状況の下で、このセンターの果たす役目はますます大きくなっている、その意味 で日本山妙法寺との協力関係が深まっていることは喜ばしく、アメリカ大陸横断の今 回のピース・ウォークも心から応援したい。そのように、センター主催者が説明して くれました。 最後に、安田純さんが今日のピースウォークの締め括りのことばを述べられました が、その中で、ゆみさんと私がグローバル・ピース・キャンペーンのスタッフ代表と して紹介されました。10月9日ニューヨーク・タイムズ紙の意見広告を皮切りに、11 月11日のロサンジェルス・タイムズ紙、イタリアのスタンパ紙、ペルシャ語雑誌での 意見広告へと広がり、現在はノリさんが中心になって「平和のためのグローバル・ス トーリー」を世界中の人の協力で創り上げる企画を進めていることをゆみさんが説明 しました。「平和を望む個々人の声がちょっとしたきっかけで束ねられると大きなう ねりになる」と話すと大きな拍手が起こりました。 それから「グラウンド・ゼロ・センター」内に招き入れられ、用意された菜食料理 を食べながら和やかに歓談していると、あっという間に1時間経ってしまいました。 ここでは国籍や宗教を越えて平和を求めるという同じ目的で一日歩き通した同志の間 の一体感のようなものがしっかりと確認できました。食事の後、何人もの人が、もう 立ち上がれないと思ったようです。食事もせずにしばらく床に横になっている人も一 人ではありませんでした。でも今日はたった10マイルあまり、明日からは14〜15マイ ル歩くとのこと。慣れればそれほど大変ではないと経験者は皆言いますが、楽な行程 ではないことは確かです。これから全行程を歩き抜こうとする20人近くの人に対して 敬意を表したいと思うとともに、道中の安全を祈りました。 7時過ぎ、ノリさんとゆみさん一家とともにフェリーまで戻りました。今日7時間か けて歩いたあの道のりも車だとたったの20分でした。そのあっけなさが、平和を壊す ときの容易さを、そして7時間の行程が平和を築くときの地道な努力を象徴している のではないか。寂しい船着き場の暗闇の中でフェリーを待ちながら、ふとそんなこと を考えました。 (2002年節分。グローバルピースキャンペーン 今村 和宏) 追記) 1月16日以降、やはり嫌がらせを受けることもありましたが、盛大に歓迎されたり 励まされたりする日もあり、2月2日現在、ピースウォークはオレゴン州を無事に進ん でいるそうです。
平和と生活をむすぶ会関東事務局の小栗英俊さんからの情報です。 小栗@平和と生活をむすぶ会です。 2月17日、ブッシュ大統領来日の日、東京で市民の 国際連帯を通じて空爆停止と戦争責任追及を求める 集いを開催します。このたびバークレイ市から2名の参 加が決まりました。平和な地域づくりの自治体同士の 交流も実現したいと思います。ぜひご参加ください。 (転載自由です) ======= 『戦争は終わったの? 復興会議って誰の? 2.17 PEACE & JUSTICE for AFGHAN!』 プログラム(予定) 〈第一部〉 ■特別報告 ローレン・モレットさん(バークレイ市環境委員会委員) スティーブ・ローズさん( 〃 平和と正義委員会委員) アフガニスタン現地最新報告(アジアプレス綿井武陽氏) ■講演 「アフガニスタン攻撃はアメリカの戦争犯罪」 前田朗 東京造形大学教授 〈第二部〉 ■分科会 平和な地域づくりをどうすすめるか分科会、 バークレイの二人を迎え、米下院でただ一人報復戦争決議に 反対したバーバラ・リー下院議員を地元から送り出した草の根 の運動や、市議会決議を生み出した運動を交流し、日本の有 事立法や参戦を許さない平和な地域づくりと共通の課題として 話合います。 ■分科会 戦争被害・戦争犯罪調査と国際民衆法廷をめざす分科会 アメリカの空爆停止と戦争拡大をとめるため、戦争被害者へ の責任追及とアメリカの軍事行動の違法性を国際的に明らか にする取り組みをどう作るのか話し合う予定です。 【ローレン・モレットさん、スティーブ・ローズさん紹介】 報復戦争反対決議を提案した市議会議員のスタッフ! バークレイ市の報復戦争反対決議(’02.10.16)を提案したDona Springs市議会議員スタッフ。バークレイ市決議を生み出した背 景や、そのプロセスについて詳しく語っていただきます。ローレン さんはバークレイ市の環境委員会の委員、スティーブさんは市の 平和と正義委員会の委員を構成しています。 また、ローレンさんは女性地質学者会議議長でもあり、アメリカの 核政策とその問題点を鋭く追及しています。 日時:2月17日(日) 13:30〜17:00(開場13:15) 場所:星陵会館ホール 千代田区 永田町2−16−2 TEL03−3581−5650 地下鉄有楽町線、半蔵門線 永田町下車出口6番 徒歩5分 銀座線、丸の内線 赤坂見附下車 徒歩10分 丸の内線、千代田線 国会議事堂前下車赤坂口(出口5番)徒歩7分 地図 http://square.umin.ac.jp/jats/map.html 参加費: 1,000円 主催:PEACE&JUSTICE for AFGHAN実行委員会 TEL03-3267-0156 FAX03-3267-0158 連絡先 高瀬(平和と民主主義をめざす全国交歓会) TEL090−1439−2495 国井(平和と生活をむすぶ会)TEL070−5543−6736 ■賛同金をお願いいたします!(一口1,000円) 郵便振込 00170−9−186951 「平和と生活をむすぶ会」 (ピース&ジャスティス賛同金と書いてください) ■スタッフ・特に英訳・翻訳お願いできる方、力を貸してください! ※第2回実行委員会2月4日(月) 19:00〜 浜松町海員会館会議室 (JR浜松町北口でて晴海ふ頭方向に徒歩3分、島嶼会館となり) ※第3回 〃 2月11日(月)14:00〜 場所未定 ※第4回実行委員会 2月16日(土) 時間・場所未定 HP:http://homepage2.nifty.com/peace-desk/ mail:peace-desk@nifty.com ・ ・ ・・・‥‥……━━━━━━━━━★ 平和と生活をむすぶ会 関東事務局 小栗英俊 HOME TEL/FAX 043−273−3140 OFFICE 新宿区新小川町9−7−A302 TEL 03−3267−9995 FAX03−3267−0158 携帯090-7812-3386 mailto:oguri@cam.hi-ho.ne.jpまたはogumogu7@hotmail.com ★━━━━━━━━━……‥‥・・・ ・ ・
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