長崎県は島原市の「護国寺」というお寺の三男として生まれる。
工業高校を卒業後エレベーター会社のエンジニアとなるが、もっと世界を知りたくて退社しインドやアジアを2年余り放浪する。
その放浪の途中のインドのゴアで原秀雄氏(現在は奈良県十津川村在住)に出会いかなり影響を受ける。
帰国後、焼き物の道に入り、その数年後に弟子入りした屋久島の吉利博行氏の原始的な焼き物作りに感銘し以後その道を追求する。
‘88年に当地に開窯、その時に隣接する雲仙国立公園ではヤマボウシの花が数年ぶりの見事な咲きっぷりで屋号にその名をいただく。
(後に知ったのだが、そのヤマボウシの木はきリストの十字架として使われたと云う伝承がある。雲仙の地獄では多くの隠れキリシタンが温泉の熱湯による拷問が行われた史実があるのでヤマボウシの木の珍しい群生はなにか因縁めいたものがある。また材は硬いのでロクロの心材としても使われたらしい)。
その開窯した年の夏に長野で行われた「88命の祭り」にて連れ合いの由紀と出会い、秋には結婚する。
以後、仕事の傍らチェルノブイリ原発の事故や諫早湾干拓の問題でエコロジーに関心を持ち多くのイベントや反対運動に積極的に参加するように心がける。
また、その事も絡めて、今で言うロハス(Lifestyle of health and sustainabilityの略語)的な環境作りを自分なりに模索する。