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冒険記 #001 山田バウ
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死が目前に迫った少女との対話


ひと息ついて、気を取り直して車に戻ろうとしたときです。ちょっと先の路地から、小さなうめき声が聞こえてきました。気のせいかな、と通り過ぎようとしましたが、耳を澄ませばやはり声が聞こえてきます。自然と声のほうに向かって、瓦礫を踏みしだくようにして路地を歩いていきました。そのとき、

「来たやろ、やっぱり来たやろ」

という、女の子の明るい声が聞こえてきたのです。うめき声が漏れ出ているところからはニメートルほど離れた場所、しかし、どちらもグシャグシャにつぶれた家のなかからです。

「おーい、だいじょうぶかあ!」

とっさに声をかけると、

「こっちはだいじょうぶや、そやからそっちを早く助けてやって」

と、気丈な声が返ってきます。姿は見えませんが、声からして小学校の低学年くらいの女の子でしょうか。そっちというのはどうやら彼女のお母さんで、二人は別々の部屋に寝ていたところを地震にあったようでした。
もう一度お母さんの声に耳を傾けましたが、さっきまでのうめき声はまるでカワセミの鳴き声のようなギーッ、ギーッという鈍いきしり声に変わっています。その規則正しい音から察すると、お母さんはかなりの致命傷を受け、瀕死のようすでした。もうダメかもしれないと判断した私は「そっちを先に」という彼女の声を無視して、女の子を救出しようと瓦礫を払いのけにかかったのです。幸い、夜の町を月明かりが照らしつづけ、手元も向こうもよく見渡すことができました。

「なんでこっちやの。こっちは元気やからそっちが先や。苦しんでるやんか」

物音で私が近くにいるのがわかったのでしょう。彼女はなおもお母さんのことを案じて、なかば怒るように私に話しかけます。

「だいじょうぶや。お母さんは別の人がやっとる。そやからおっちゃんがこっちの係や」

しかたなく、そう嘘をついて彼女をなだめ、懸命に作業を続けていきました。グシャグシャに散乱した瓦や柱を払いのけ、壁を崩そうとしますが、私一人の力、それもなんの道具もない素手ではどうしても壁が破れません。ふと、路地から大通りのほうを見ると、大勢の人々が逃げるようにどこかに向かって走り去っています。

「おーい、こっちに人がいてる。子供がいてる。手伝ってくれえ!助けろ!」

通りに向かって何度も大声で叫ぶのですが、当時はいたるところで同じような事情があったのでしょう。たまに振り向く人があっても、私のところまで駆け寄って、手助けをしてくれる人は誰一人いませんでした。
落胆する暇もなく、一生懸命、文字どおり必死に私は作業を続けました。釘やガラスで掌は血だらけになり、顔にもいくつもの傷がつきました。
一時間、二時問、何時間たったのでしょうか。外装の木の壁はどうにかはがすことができました。ところがその内側のモルタルに塗りこめられている金網が堅く、やっと小さな穴は開いたものの、どうしてもそれ以上拡げることができません。つぶれた二階に上がってみますが、折り重なったタンスと仏壇に阻まれて、窓から入ることも無理でした。
女の子とはかけあいのように会話をしつづけましたが、彼女は仕事か何かでその日家をあけていたお父さんの救援を待ち焦がれているようでした。

「お父ちゃん、まだかいな」

ときおり、沈んだ声で彼女はそういいます。

「今、車が混んどるからお父さん、遅くなっとるんやろうな。 もうちょっと待っとき。あと一時問くらいで帰ってくると思うよ」

私はまた嘘をついて彼女を慰めます。

「そうやろうな。…そやけどおっちゃん、こっちはええからそっちから先にやってや一」

「だから、そっちは別の人がやってるっていったやろ!」

「おっちゃんもそっちを手伝ったらええやん!」

なかばけんかのようにしてかけあいを続け、その言い合いがピークに達したときのことです。
つぶれた家の後ろから白い煙が見えて、私はパタッと話を止め、作業の手を止めました。

火事になる。もうダメか。なんといったらいいだろう。あと数十分かそこらで死を迎えなければならない彼女に、いったいなんと説明すればいいんだろう。そんなことを考えた、というより本当は頭のなかが真っ白になって、呆然とただ煙を見つめていたのです。これからする会話は間違いなく彼女にとって人生最期の大切な会話になる。きちんと説明しないと、この女の子の人生は終わるに終われない。いったいこの私に何が話せるというのだろうか……。
二、三分ほど沈黙していたでしょうか、意を決して、私は壁の向こうの彼女にこういいました。

「何かわかるか」

急に静かになった私に、彼女は何か異変が起こった気配を感じ取っていたのでしょう。
しばらく黙りこんだ後、今までと変わらぬ弾んだ調子でこう答えました。

「煙やろ」

この明るい声に、私は今まで味わったことのないほどの強烈な衝撃を受けました。頭が爆発してしまって、何がなんだかわからなくなってしまったのです。
この女の子は、この幼い小さな女の子は大人の私より人間ができている。それまで私はカヌーの普及活動にしても、オゾン層の保護活動にしても、すべて自分の思いどおりに事を運んできた。誠心誠意尽くして動けばできないことは何もないと、相当の自負と自信をもって生きてきたわけです。ところが目の前の半径五メートルで起きている出来事に何もできない。女の子一人助けることもできないし、彼女に状況を説明することさえできなかった。しかも、彼女のほうが私より数段、人間ができている。避けられない死を目前にしながら、泣きわめくこともせず、どうしてそんなに明るい声で話せるのか……。
私は拳を握りしめて、足を踏ん張りました。少女に向かって、そして私自身に向かっても宣言しました。

「よーし、頑張るな、もう一回!」

もうダメだとわかっている。それでも私は頑張らずにはいられませんでした。常識的に考えれば、巻き添えをくう前に私自身もその場から離れるべきだったのかもしれません。
多くの人はそこであきらめるでしょう。でも、私はたとえ残りの数分でも頑張ろうと思ったのです。ダメだとわかっていても、私が今できることを全力でやる。それが死を目前にしたこの女の子に対するせめてもの償いと思ったのか、私なりの責任の取り方と思ったのか、私は半狂乱になりながらも無我夢中に死力を尽くして瓦礫と格闘しました。
必死に壁に食らいつきはじめて、四、五分たったころでしょうか。「ボッ」という音がして周囲が明るくなり、家の裏手から炎が立ち上りました。私は一瞬、凍りつきました。
そしてなぜだか「元気出せー、元気出せー、元気出せーっ」と、全身を震わせて、体と魂の奥底から繰り返し繰り返し叫んでいたのです。

それ以降の私の行動は冒頭に書いたとおりです。結局、私は目の前で少女一人が焼け死んでいくのを助けることができませんでした。今でもそのときの自分の声が耳にこびりつくように残っています。そしてこの女の子との出会いが、私の
人生の新たな原点となったのです。

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