「元気出せー、元気出せー」
力の限り、大声の限り、文字どおり全身をふりしぼって、私は叫んでいました。
目の前にある一枚の厚い壁、ぐしゃぐしゃになった屋根瓦に埋もれたモルタルの向こうには、さっきまで明るい声で私と会話をしていた女の子がいるのです。そしてそのつぶれた家の裏手からは、夜の路地を照らしだすかのように小さな火の手が上がっていました。
「元気出せー、元気出せー」
私は半狂乱になりながら瓦礫を押しのけ、なんとかその子を救いだそうとしていました。
そこらじゅうに出っ張った釘やモルタルに食いこんだ金網が手に刺さり、血まみれになったところで、丸腰の腕一つではどうしても壁を破ることができません。火の手は風をはらんでゴーゴーとうなりだし、木造の家をのみこむようにどんどん大きくなっていきます。
私は叫びつづけました。わけもわからず、なんともいえない思いにかられ、天をつんざくような大声で叫びつづけました。
「元気出せーっ」
結局、彼女は炎に巻かれるようにして亡くなりました。
いったい白分がどうしてそこの路地を出たのか、いつあきらめてそこを去ったのか、何時問くらいその女の子とともにいたのか、五年がたった現在でも、その記憶は空白のままです。
次に気づいたとき、私は路地から少し離れた道路の真ん中に寝ころんで、流れるだけの涙を流しながら夜空を眺めていました。耳元にはさっきまで叫びつづけた自分の声がこびりつくように残っていました。
「元気出せー、元気出せー」
小さな女の子たった一人、目の前の命一つ、私一人の力ではどうしても救うことができなかった。涙はいつまでもあふれつづけ、私は果然と、空を仰ぎながら泣きつづけるばかりでした。
それからどのくらいたったのでしょう。ふと、空に白いまん丸いお月さんが浮かんでいるのに気がつきました。
一九九五年一月十七日。神戸を中心とする阪神地方を大地震が襲ったその晩、夜空には美しい満月が輝いていました。地上の惨事がまるでよそごとのように、悔しいまでに超然と輝くお月さんを眺めながら、私は身もだえして、空に向かっ
て絶叫し、怒りをぶつけました。
「世の中に神さんというのはほんまにいてるんかあ!もしいてるんやったら出てこいっ!人間に力を貸せえっ!」
そのときです。背筋にピーンと、延髄からお尻のしっぼのあたりまで、エネルギーが入ってくるのを感じたのは……。
涙もかれてしまった明け方、私は立ち上がりながら決意しました。これからは死んだ人とはもうかかわらない。生きている人を助けていこう、生きていこうとしている人を助けていこう、と。ここから、私の神戸での活動が始まったのです。
「バウさん!大地震です! うわあ、これはたいへんなことが起こった」
一九九五年一月十七日の早朝、私はいっしょの部屋に寝ていた大学の先生の呼び声で目が覚めました。
場所は群馬県の水上温泉。環境問題を専門とする学者や専門家たちとともに、私は前々日の十五日から二泊三日の予定でオゾン層保護活動のための合宿を行っていたのです。ちようどその最終日、これから全員が帰路につこうという朝、阪神大地震は起こったのでした。
先生の声で起こされた私(「バウ」というのはカヌーの前役、バウマンからきた私の愛称です一は、とび起きると同時に部屋のテレビにくぎづけになりました。一瞬、映像を見ただけで、大阪生まれで関西に土地勘のある私にはそれが神戸だというのはすぐにわかりました。七時過ぎごろのNHKの映像は、ヘリコプターから撮った神戸の街、瓦礫の山と変わり果てた家並み、立ち上る煙、崩れ落ちたビルや道路、ひっくり返った車などのようすを映しだしています。伊丹の駅も崩れ落ちていました。
とんでもない地震が起こった。でも、何がどうなっているかはわからない。混乱と興奮が日本中を駆け巡っているようでした。
唖然として画面を見つめる先生の脇に腰掛けながら、私はなぜかとても冷静に被害状況を推し量っていました。須磨の海岸から六甲の山、三宮から長田地区と、白分が小さな一個のピンポン球のようになって、神戸の街をポンポンポンっと
飛びまわっているかのように被害状況を感覚でつかんでいたのです。
私には変なクセ、というのか習慣のようなものがあって、これは長年カヌーに乗っていることから身についた危機管理本能のようなものですが、これから急流に漕ぎだそうというとき、一本の指を川の水につけてその川の状態、上流から下流までの川底の状態を感覚でつかみます。それと同様、神戸の街も無意識のうちに体のセンサーで危険度を計っていたのでしょう。
そうして、五分ほどテレビの画面を見つめていたでしょうか。
突然、背筋にピーンと、エネルギーが入ってくるのを感じました。
「これはエライことになったな」
正直にいって、そう思いました。というのも、この日を最後に私はオゾン層保護活動に区切りをつけ、以前のカヌー中心の生活に戻ろうとひそかに楽しみにしていたからです。
私はそれまでの五年間、仕事を辞め、オゾン層保護のための活動に全力を注いできました。そして、活動はほぼ軌道に乗り、全国の自治体でフロンガス回収のためのシステムができあがりつつありました。
私の役目は終わった、あとはこのまま専門家たちが引き継いで
、うまく流れていくだろう。そう思い、私はこの日を楽しみにしていたのです。
ところが、私が一つの役割を果たし終えたと思ったその日に、阪神大震災が起きた。ただの偶然といえばそれまでですが、やはり運命的なものを感じずにはいられません。先ほど背筋にエネルギーが入ってきたと書きましたが、これは「大きい仕事になる、私のもっている『いのちの力』をすべて出し切って取り組む仕事になる」というときに、私の体が感じるサインなのです。
「動こう!」
とっさにそう思った私は、同室の先生にいいました。
「すみません。お金がないので、一万円貸してください。いや、返せないと思いますから、一万円ください」
同室の先生も、私がなんだかよくわからないけれどとにかく動こうとしている、そう思ったのでしょう。快く一万円を差しだしてくれました。
私は急いで服を着て、その一万円を片手に旅館をあとにしたのです。 |